【東京V】智将ロティーナの右腕は、かつてクライフの薫陶を受けたスゴ腕だった

2017年05月11日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

バルサの育成機関で“真髄”を学ぶ。

ロティーナ監督の名参謀、それがこのイバンコーチだ。37歳と若いが、指導キャリアはまさに波乱万丈。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

 正直に言ってわたしは、東京ヴェルディを長く取材してきたわけではない。
 
 橋本英郎や二川孝広など旧知の間柄であるベテランがいて、竹本一彦GMにも久々に会いたかった。スペインで名を馳せた智将ミゲル・アンヘル・ロティーナが新たに指揮を執ると聞き、いったいどんな練習をしているのだろうという興味もあり、始動まもないチームの取材に出かけたのだ。そして、ものの見事にハマった。
 
 驚いたのは、トレーニングの緻密さだった。とりわけ守備に関しては細かく個々の動きが指示され、円滑なマークの受け渡しができるまで何度も反復させる。とある若手に話を聞けば、「頭では分かっていても身体が付いてこない。難しい」と辟易としていた。観ているほうにしてみれば、じつに楽しいトレーニングだ。
 
 選手と同じピッチに立ち、熱量たっぷりに指導している男がいる。ロティーナの右腕、イバン・パランコ・サンチアゴ。遠めに見るとユース選手かと見間違えるほど若々しい、37歳のヘッドコーチだ。
 
 あれからおよそ4か月。ヴェルディの選手たちは自信に満ち溢れた表情でゲームに臨んでいる。したたかに勝利を掴み、気づけば、昇格レースの一角を担うメインキャストだ。いったい、なにがあったのか。イバンの辣腕と貢献を、深堀りせずにはいられない。
 
 イバンは、生粋のカタルーニャ人だ。4歳からサッカーをはじめ、ユース年代まで地元のバルセロナやエスパニョールも参加する、スペインの全国リーグでプレーしていた。
 
「ポジションはプレーメーカー。見ての通り身体が小さくて弱かったんで、主にプレーメーカーとしてプレーしていた。膝の怪我などもあってプロにはなれず、真剣にサッカーに取り組んだのは18歳まで。そこから少しずつ、指導者の勉強をはじめたんだ」
 
 バルセロナ自治大学では、スポーツ科学を専攻。学業と並行して指導者ライセンスの講習にもあしげく通い、卒業後は、街クラブの監督や代理監督を務めながら、雌伏のときを過ごしていた。
 
 やがて26歳になったイバンに、転機が訪れる。レベル2(スペインの指導者ライセンスはレベル1~3で3が最高位)のコースを一緒に受講していた仲間がバルサの指導スタッフで、イバンをクラブに推薦してくれたのだ。とんとん拍子で話は進み、晴れて契約。スクールコーチの仕事を中心に、U-8やU-12のチームも指導したという。本格的なコーチング業のスタートだ。
 
「バルサで学んだ日々はとても貴重だった。彼らがもっとも大事にしているのはポジションプレー。もちろんプレーモデルはポゼッションなんだけど、それも的確なポジショニングがあってのもの。すべての基本になっていて、その奥深さをとことん学んだ」
 
 バルサでの充実した日々を送るなか、イバンは一大決心をする。遠く日本の福岡で、バルセロナが新たにサッカースクールを開校するという。そのテクニカルディレクターにみずから名乗りを上げたのだ。
 
「日本はすごく興味がある国だった。教育がしっかり行き届いていて、誰もがリスペクトし合う素晴らしい国民性があると聞いていた。もちろん指導者としての経験を積むうえでもいい環境だと思っていたし、自分の人間性を豊かにできると信じていた。実際に来日してみて実感したよ。選択は間違いじゃなかったとね」
 
 福岡では2009年から3年間を過ごした。イバンとバルサの契約はそこで満了となり、育成のフィールドに別れを告げる。彼が新天地としたのが「クライフ・フットボール」。かのレジェンド、ヨハン・クライフが主宰し、指導者の育成やプロチームに対するアドバイスなどをグローバルに展開する、いわばサッカーエリート組織だ。

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