【浦和|復活秘話】三度目の大怪我を乗り越えた梅崎司が「ファーストタッチ」に込める想い

2017年04月07日 原田大輔

ミニゲーム後に頬を伝う涙。「やっぱり、長かったのかなって」。

今季のシーズンインの頃は、まだひとりで黙々と走る姿も。ようやく復帰の目途が立った今、サッカーができる喜びを強く噛み締めている。写真:徳原隆元

 奇しくも、東日本大震災からちょうど6年が経っていた。
 
 その日は、リーグ戦(3節・甲府戦)の翌日だったため人数は限られていたが、梅崎司はミニゲームを終えると、思わず涙を流していた。
 
「焦りとかは一切なかったんですけど、自分の中で本当に戻って来たんだなって感覚を抱いたんですよね。この大好きなピッチで、大好きなサッカーができたって。それに久々だったのに、本当に自分らしくプレーできたんですよね。
 
 ミニゲームが終わって、トレーナーとか、ドクターとか、コーチとかと握手をしたら、なんだろう、嬉しさが込み上げてきて、思わず泣いてました。怪我をしてから6か月と11日ですか。自分としてはひとつも無駄なことはないと思ってやってきましたけど、それまでの日々がフラッシュバックしたというか。やっぱり、長かったのかなって」
 
 梅崎が左膝前十字靱帯を損傷する大怪我を負ったのは、2016年8月31日に行なわれた神戸とのルヴァンカップ準々決勝第1戦。久しぶりの先発出場を果たした試合終了間際のことだった。
 
 09年にも右膝前十字靱帯を損傷し、復帰した2010年にも右膝半月板を痛めた過去がある。それだけに、三度目とも言える大怪我は、さぞや彼の心を切り裂いただろうと思っていた。だが、二度の試練に打ち勝ってきた梅崎は、精神的な逞しさを身につけていた。
 
「怪我をした時はすぐに逆足を鍛えられるチャンスだ、身体の使い方を一から学び直せる良い機会だ、と思ったんですよね」
 
 強さを得る契機となったのが、偶然にも今回、チームの練習に合流する日となった、6年前に起きた東日本大震災だった。
 
「(当時は)浦和に加入して3年目で、また怪我をして、試合に出られない状況に不安が募って怖かった。自分がこのまま終わるんじゃないかと思って、そのストレスに耐え切れず、追い込まれていたんです。その精神状態のまま年が変わり、東日本大震災が起きた。
 
 あの震災では、多くの方が亡くなったし、被災した方たちが苦しんでいた。自分は何をちっぽけなことで悩んでいるんだろう。生きているだけで、サッカーができるだけで、幸せなんだなって思ったんです。そこから考え方が変わりましたよね」
 
 自分自身が勇気であり、希望を与えられる存在にならなければ——―その思いが彼を人間的にも大きく成長させた。だから、三度目の大怪我にも落胆することなく、好機に変えようと、挑戦と捉えることができた。
 
 ただ、復帰に向けてリハビリを続けていく日々は、否が応でも自分自身と対話する時間が多くなる。梅崎は自分自身に問い掛けた。
 
「お前は何がしたいんだ?」、と。
 
 きっかけは、周囲の声だった。

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