【千葉】10年ぶりに帰還した羽生直剛。大ベテランが明かすジェフ愛と復権へのビジョン

2017年01月29日 松尾祐希

「1年が終わったときに恩返しができているように」。

37歳となった羽生だが、攻守両面でのエネルギッシュなプレーは健在。千葉を復活へと導けるか。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 ジェフ千葉に、羽生直剛が帰ってきた。じつに10年ぶりだ。
 
 2002年に筑波大から加入し、1年目から23試合に出場。翌年、イビチャ・オシム監督が指揮官に就任してチームが上昇曲線を描くと、それに呼応するように自身のパフォーマンスもみるみる向上させた。05年、06年にはヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)制覇に貢献。06年7月に千葉を支えた名将が日本代表監督に就任すると、今度は日の丸を背負う機会を得た。

 千葉がもっとも輝いた時期を象徴する主軸のひとりとして、順風満帆のサッカー人生を歩んだ羽生。08年からは活躍の場をFC東京に移し、さらなる飛躍を期した。
 
 その一方で千葉は、凋落の一途をたどった。羽生が移籍した翌年の09年にJ2へ降格すると、以降は下のカテゴリーでもがき苦しんでいる。羽生にとって古巣の低迷は、さぞや歯がゆかっただろう。復帰を決める際の相談相手で、千葉時代の羽生をよく知る佐藤勇人は、「(羽生は)ジェフのゲームをずっと見ていてくれて、チームの現状を理解していた」と明かした。背番号22は、つねにクラブの動向を追っていたのだ。
 
 やがて迎えた16年のオフ。「楽をして終わるよりはなにかにチャレンジし、環境を変えてまでもなにか掴むほうが僕らしい。1年が終わったときに千葉へ恩返しができているようにしたい」。羽生はこの切なる想いを胸に、ふたたび千葉の一員となる決断を下した。
 
 久々に帰ってきた古巣。練習場は当時使っていた姉崎サッカー場ではなく、ユナイテッドパークに変わっていた。とはいえ、背番号22のひたむきな姿勢は10年前と同じだ。当時を知る岡本昌弘も「10年前と変わらない。羽生さんが帰ってきたことはプラス以外の何物でもない。本当の意味でプロフェッショナルのトップの人が帰ってきてくれた。ジェフのことを良くしたいと、真剣に考えてくれている」と、大ベテランの姿勢と取り組みに賛辞を送る。

次ページサッカー人生、そのすべてを捧げる覚悟だ。

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