バルサ出身者はイングランドで大成している? セスク、ピケ、ベジェリン、メリダなどを英紙が比較

2017年01月27日 サッカーダイジェストWeb編集部

ピケがマンチェスター・U時代を「地獄だった」と語った理由とは?

ピケやセスクなど世界的なタレントに成長した選手がいる一方で、メリダなど苦労人としてのキャリアを過ごす選手も…。 (C) Getty Images

 バルセロナのカンテラ(育成組織)には、世界中から才能溢れる有望株が集うことで有名だ。
 
 現地では『ラ・マシア』と呼ばれるその組織から巣立った選手の中には、ジョゼップ・グアルディオラ、カルレス・プジョール、シャビ、リオネル・メッシ、アンドレス・イニエスタなどバルサのトップチームで成功を掴んだ者もいる。

 一方で、他国のクラブへと移籍を決断した戦士たちも多く存在している。
 
 英紙『デイリー・メール』は、バルセロナの下部組織からプレミアリーグにやってきた有望株たちを、10点満点評価付きで紹介している。
 
 スペインからイングランドへやってきた彼らは一体どんなキャリアを歩んでいるのだろうか?
 
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ジェラール・ピケ(現バルセロナ)
04年夏:バルセロナ・フベニールA → マンチェスター・U
08年夏:バルセロナ復帰
イングランド挑戦時の評価:8 ⇒ 現在の評価:10
 
 バルサでは同じ1987年生まれのメッシ、セスクらとともにラ・マシアで育った。しかし、トップチーム昇格前にマンチェスター・Uへ移籍。イングランドでプロキャリアをスタートさせた。
 
 そんなピケはマンチェスター・Uで、身体の使い方や守備時のあらゆるスキルを学べたことを感謝しているはずだが、プレミアリーグでの生活が順風満帆だったわけではない。
 
 2014年のスペインメディアのインタビューで、「ヴィディッチとファーディナンドがとにかくタフで、怪我をしなかったから、彼らが退場でもしない限り、僕の出番はなかったね。本当に地獄だった」と語るほど、当時のマンチェスター・Uの守備陣は盤石なものだったのだ。
 
 経験を積むため、2006年夏にはサラゴサにレンタル移籍をしていたピケだが、マンチェスター・Uに戻ってきても彼に居場所はなく、2008年にバルセロナへ帰還。古巣で世界屈指のCBへと成長を遂げたのは周知の通りだ。
セスク・ファブレガス(現チェルシー)
03年秋:バルセロナ・フベニールA → アーセナル
11年夏:バルセロナ復帰 → 14年夏:チェルシー
イングランド挑戦時の評価:8 ⇒ 現在の評価:10
 
 バルサ・カンテラからイングランドに来たなかで最高傑作の一人。2003年のU-17ワールドユースで大会得点王(5点)に輝く活躍を見せると、アーセン・ヴェンゲルの誘いに応じて同年9月に16歳でアーセナルに移籍した。
 
 その後、8シーズンに渡ってアーセナルでプレーしたセスクは、2008年にクラブ史上2番目に若い21歳でチームキャプテンに任命されるなど、卓越したプレースキルはもちろん、チームをまとめるキャプテンシーが高い評価を受けた。
 
 そんな彼に唯一足りなかったのがタイトル。その悲願を求めて11年夏にバルサに復帰したセスクは、同年12月にクラブW杯制覇を経験するなど、合計6つのタイトルを獲得した。
 
 しかし、結局は14年夏にはチェルシーへと移籍。14-15シーズンにプレミアリーグ制覇を果たして、イングランドで求めていたものを手にした。

次ページプレミアで評価を高めるベジェリンとロメウ。

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