【川口能活クロニクル】予選の重圧に泣きながらプレーしたアウェー戦|フランスW杯最終予選 vsウズベキスタン戦

2016年10月06日 サッカーダイジェストWeb編集部

初戦で6-3と勝利し、慢心が生まれていたのかもしれない。

フランス・ワールドカップ予選当時の川口。凄まじいプレッシャーとの戦いがあった。(C) Getty Images

 川口能活、41歳。彼のサッカー人生は、言い換えれば、日本代表の"世界挑戦"の歴史と重ね合わせることができる。絶対に負けられない戦いのなかで、彼はどんなことを考えていたのか。「川口能活クロニクル」と題した、日本サッカー界のレジェンドが振り返る名勝負の知られざる舞台裏――。
 
第4回:1998年フランスW杯アジア最終予選・第5戦
        日本 vs ウズベキスタン
 
■サッカー人生でもっとも"アウェー"を感じた試合
 
 1997年10月11日。タシケントで行なわれたフランスワールドカップ・アジア最終予選第5戦のウズベキスタン戦は、僕のサッカー人生のなかでもっともアウェーのプレッシャーを感じた試合でした。
 
 前回のコラムで紹介した2004年のアジアカップの中国大会もブーイングは凄まじいものがありましたが、あれは反日感情によるもの。ウズベキスタン戦ではスタジアムに訪れた5万人のサポーターによるブーイングは凄まじいものがありましたが、それに加えて、僕の平常心を揺るがしていたのは、初のワールドカップ出場を目指していた日本代表が窮地に陥っていたからでしょう。
 
 1週間前のカザフスタン戦後、日本の指揮官、加茂(周)さんが突然解任され、コーチの岡田(武史)さんが昇格したのです。
 
 加茂監督の更迭は、寝耳に水でした。当時はスマホのない時代でしたから、情報は日本からファックスで送られてくる新聞のコピーが回し読みされていました。その前にスタッフから監督を交代することは直接聞いたのですが、あらためて加茂さんの更迭のニュースを読んで、悔しさがこみ上げてきたのを覚えています。カザフスタン戦を終えて5試合を戦って、加茂さんは最終予選で1敗しかしていませんが、ホームでの韓国戦に敗れただけで更迭されたのです。
 
■加茂さんに恩返ししたい一心だった
 
 振り返れば、最終予選の組み分けが決まったとき、ウズベキスタンは、韓国の次ぎに強いと言われていました。そんなウズベキスタン相手に、初戦で6−3と大量ゴールを奪いました。「これは行ける!」という慢心のようなものが生まれていたのかもしれません。
 
 その後、日本はアウェーでUAEに引き分け、ホームで韓国に敗れました。一方、韓国は無傷の3連勝で勝点9と独走し、UAEが勝点7で続いて、日本は勝点4の3位に。1位通過はおろか、プレーオフ進出となる2位通過すら危うい状況に追い込まれていたのです。
 
 そうしたなかで、加茂さんの更迭が起きてしまったのです。
 
 僕にとって加茂さんは特別な存在です。日本代表に選んでもらったのも、加茂さんですし、ワールドカップ初出場を目指すチームのゴールマウスを守ることができたのも、すべては僕を信頼してくれた加茂さんのおかげでした。だからこそ、加茂さんに恩返ししたい一心で、この最終予選を戦っていたのです。
 
 僕だけではありません。井原(正巳)さん、秋田(豊)さん、モト(山口素弘)さんなど、当時のほとんどのメンバーは、加茂監督が抜擢した選手ばかりでしたから、みんながすごく責任を感じていました。
 
「加茂さんのためにもワールドカップへ行こう!岡田さんを男にしよう!」
 井原さんがそう言って、みんなの気持ちをまたひとつにしてくれました。

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