ワールドカップに病みつき。2026年に10度目の観戦予定を計画。苦難との遭遇も時が経てば楽しい想い出に

2025年12月21日 加部 究

スタジアムの周りで「I need ticket」

94年アメリカ大会で2度目のW杯観戦(左が福島さん)。写真:本人提供

 おそらくワールドカップには、地球上の人々を病みつきにさせる魅力、さらにはそれを通り越した魔力があるに違いない。

 福島健彦さんが初めてスタジアムに足を運んだのは、満員の東京・国立競技場だった。1985年秋、国内の試合では閑古鳥が鳴くのが通り相場だった時代に、聖地は異次元の熱気に包まれていた。

 日本が韓国を破れば、史上初めてワールドカップの舞台に立てる。残念ながら日本は韓国に1-2で惜敗するのだが、当時15歳の福島少年には強烈なインパクトを残した。

「ワールドカップって、そんなに凄い大会なのか...」

 感嘆の先に夢が芽生えた。

「自分が大学生になる5年後なら現地で観戦ができる」

 大学生になった福島さんは、イタリア・ワールドカップが開催される前年末に「日本サッカー狂会」の忘年会に出席。そこで大会決勝戦のチケットがオークションにかけられ、アルバイトで貯めた資金6万円で獲得した。

「他の人は3、4万くらいまでだったので、私だけ相場を知らなかったんでしょうね」

 翌1990年、決勝戦のチケットだけを手にイタリアへ飛んだ福島さんは、約10試合を観戦して帰国した。以来気がつけば、前回2022年カタール大会まで9大会連続でワールドカップの現地観戦が続き、2026年には10度目の観戦予定を計画している。

「ロシア大会(2018年)以降は、FIFAがIDや電子チケット制度を導入しましたが、それまではチケットや宿泊等もすべて現地調達でした。サッカー以外に旅も好きなので、『地球の歩き方』を片手に安ホテル街へ行き、交渉を繰り返しました。空港泊はあっても、寝る場所が見つからずに彷徨うようなことはなかったですね」
 
 試合当日はスタジアムの周りで「I need ticket」を掲げて国際競争に乗り出した。

「98年フランス大会では、友人が先にダフ屋に現金を手渡してしまい逃げられました。各国のファンがチケットにいくら払うかは、経済力、人口、サッカーの人気等様々な要素をかけ合わせて決まります。

 欧州勢は経済力があっても、クラブチームに比べてナショナルチームへの熱が薄い印象で、あまり高く買おうとはしません。対照的なのが南米で、アルゼンチンなどは国の経済がデフォルトしていても買う。また経済力もサッカー熱も高いメキシコ人は平気で高額を払うので、彼らとの競争になったら絶対に勝てませんね」

 90年イタリア大会で始まったワールドカップ観戦の合間には、日本代表を追いかけてドーハ(94年アメリカ大会アジア最終予選)やジョホールバル(98年フランス大会アジア地区代表決定戦)にも出かけた。

「ワールドカップで日本戦を見るまで就職はしないと決めていました。結局、フランス大会の前には就職をしたんですが、せっかく日本が初出場するワールドカップ観戦を、当時の社長が許さない。『行かせてくれないなら辞めます』と、ぶつかりました。結局、最後は社長が折れてくれたんですが...(笑)」

 紆余曲折を経て出発したフランスでは手痛い被害にもあった。

「夜行列車で財布を盗まれました。寝ている間に睡眠薬を嗅がされる手口は知っていたので、警戒して尻のポケットに入れていたのに気づけませんでした」

 フランス大会からはチケット代も急騰。さすがに福島さんも、日本の初陣(アルゼンチン戦)のチケットは2枚入手していたが、それまで同様に「行けばなんとかなる」と見切り発車で現地に来てしまった友人が5人も集結。じゃんけんで勝ったひとりと無事入場し、残り4人は日本のデビュー戦の最中に場外でのプレーに興じることになった。

「もちろんスタジアムまで行ったけれど、チケットが手に入らないことは何度もあります。でもワールドカップはお祭りです。最近はパブリック・ビューイングもあるし、そこで新たな出会いがあり、一緒に酒を飲んだり、ボールを蹴れたりすればそれでいい。最近は、そちらの方がどんどん楽しくなってきたような気がします」
 

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