「移籍金レコード更新」の歴史は? シアラー、ロナウド、ジダン、C・ロナウド、ベイル、そしてポグバ――

2016年08月17日 サッカーダイジェストWeb編集部

ボスマン判決後に最初に記録を破ったのはシアラー。

96年以降で「史上最高額の男」になったポグバを除く8選手。(上段左から)シアラー、ロナウド、デニウソン、ヴィエリ、(下段左から)フィーゴ、ジダン、C・ロナウド、ベイル。(C)Getty Images

 世界中に衝撃が走ったのは8月9日。マンチェスター・Uがポール・ポグバを獲得するために、移籍金新記録の1億500万ユーロ(約126億円)+ボーナス500万ユーロ(約6億円)を支払ったのだ。
 
 では、サッカー界の移籍金レコードはいかにして更新されてきたのか。契約満了後の保有権無効、EU内の外国人枠撤廃というサッカー界にとってエポックメーキングな"2つの自由"をもたらした「ボスマン判決」が下ったのが1995年12月。サッカー界はいわば「ボスマン前」と「ボスマン後」に大別できるため、それ以降を振り返りたい。
 
 ボスマン判決後では最初のサマーウィンドウだった96年夏に新記録を更新したのが、過去2年連続でプレミアリーグ得点王となっていたアラン・シアラー(イングランド代表FW)だ。92年にジャンルカ・ヴィアリ(サンプドリア→ユベントス)が記録した1650万ユーロ(約19億8000万円/現在のユーロ・レートに換算。以下、同)を超える2100万ユーロ(約25億2000万円)で、ブラックバーンから故郷のクラブであるニューカッスルに新天地を求めた。
 
 しかし、翌97年夏にさっそく記録は塗り替えられる。バルセロナでスーパーゴールを連発していたロナウド(ブラジル代表FW)が、2800万ユーロ(約33億6000万円)でインテルに移籍したのだ。バルサのエースがインテルに引き抜かれるなど現代ではありえない話だが、当時はセリエAが「世界最強リーグ」と呼ばれていた時代なうえ、マッシモ・モラッティ会長がインテルに惜しげもなく私財を投じており、それゆえに成立したビッグディールだった。
 
 とはいえ、ロナウドのレコードもやはり1年後の98年夏、同じブラジル人のMFデニウソンに破られる。ベティスがこの超絶ドリブラーを獲得するために、サンパウロに3150万ユーロ(約37億8000万円)を支払ったのだ。
 
 さらに翌99年には、ラツィオからインテルにクリスティアン・ヴィエリ(イタリア代表FW)が4500万ユーロ(約54億円)で移る。ボスマン判決以降、4年連続で移籍金レコードは更新されることとなった。

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