【連載】小宮良之の『日本サッカー兵法書』其の八十四「 “インテンシティー”の誤った解釈から生じる危険」

2016年08月16日 小宮良之

プレー強度=強い意志。それは“プレーの熱”ともいわれる。

気迫やフィジカルは欠かせない要素ではあるが、それをいかにボールゲームに昇華するかが最大の課題である。 (C) Getty Images

 インテンシティー。
 
 昨今、この言葉は日本サッカー界で常用語になっている。前代表監督のアルベルト・ザッケローニが口にして以来、一気に普及していった。日本語では、「プレー強度」というのが対訳だろうか。
 
 しかし、その意味が適切に用いられているのか、甚だ疑問である。
 
 流布されているインテンシティーはほとんどの場合、「フィジカル・インテンシティー」だ。速く、長い距離を走る、コンタクトで負けない。しかし、それは走力であり、筋力と言えるだろう。身体的な能力である。
 
 ボールを激しく追い、人に厳しく当たる――。
 
 そればかりが語られるインテンシティーは、本来の意味のほんの枝葉であって、むしろ根幹からは外れている。
 
 7月29日にマインツ対セビージャというプレシーズンマッチが行なわれた。セビージャは試合を支配。マインツの選手がプレスに来ても、ボールを握って失わない。それによって相手をねじ込み、攻撃を繰り出し続けた(結果はセビージャが1-0で勝利)。
 
 これは早い話、インテンシティーで優ったわけである。
 
 インテンシティーとは、正しくはフィジカルだけを指すのではない。「プレー強度」全体を意味する。あえて訳すなら、意志の強さとも言えるだろうか。ボールを繋げる、ボールを運ぶ、ボールを渡さない、ボールを奪う――。
 
 それぞれの行為においての強度=強い意志(肉体的な躍動も含めた)にインテンシティーの本質はある。その点、高いスキルも意志によって後押しされるもので、それは"プレーの熱"ともいわれる。
 
 例えばバルセロナのパスゲームは、非常にインテンシティーが高い。練習でのロンドと呼ばれるボール回しは高速で、目が回るほど。パスの強度、コントロールするスキル、判断力と、どれも人並み外れている。そのプレー強度によって技術を高め、彼らは敵を凌駕しているのだ。
 
 トッププロは駆け引きによって、相手を心理的に消耗させる。逆手にとって裏を突いたりするのも、そのひとつだろう。その入り組んだやりとりにこそ、インテンシティーの核心はある。

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