【連載】小宮良之の『日本サッカー兵法書』其の八十三「いま改めて問う――監督の仕事とは? 名将とは?」

2016年08月11日 小宮良之

強烈なパーソナリティーがなくても優れたリーダーは存在する。

モチベーターとして評価の高い手倉森監督だが、リオではチームを決勝トーナメントに導くことができなかった。チームの総括と同時に、監督に足りなかったことも検証する必要がある。 写真:JMPA/小倉 直樹

 監督の仕事は、チームを勝たせることにあるのだろう。そのために集団を束ね、鍛え上げ、勝負の要諦を掴み、適切な手を打つ。
 
 そんなことは、多くの指導者たちが分かっている。勝利から逆算し、やるべきことを一つひとつやっているのだろう。
 
 しかし、問題は仕事の質である。それは日月を経るとともに、大きな差となって表われる。
 
 では、名将はいかにして名将になるのか。
 
 Jリーグでは最近、成績不振によって多くの監督のクビが飛んでいるが、改めてその仕事の本質を問い直したい。
 
「監督ひとりの覇気がグループ全体を率い、手足のように躍動させる」
 
 それは名将として、ひとつのあり方なのだろう。ジョゼ・モウリーニョ、ディエゴ・シメオネらがこれに該当する。彼らはモチベーターとして、チーム(選手)を鼓舞し、その戦闘能力を最大限まで高める。
 
 その戦いは献身的だとか、ハードワークだとか分類されるが、それでは実際は足りない。選手はただ頑張っているわけではなく、戦術的に必要な動きを高い精度でこなしているのだ。
 
 言い換えれば、監督の求心力なしに、この精度は生まれない。
 
 もっとも、名将の定義とは、型にはめるべきものではない。それには、幾つかのケースがある。強烈なパーソナリティーがなくても、優れたリーダーというのはいるのだ。
 
 例えば、先のEURO2016で優勝したポルトガルのフェルナンド・サントス監督は、モウリーニョやシメオネのように、自身のキャラクターを出すことはない。
 
 風貌は地味な"おじさん"に映るが、選手の資質を見極め、試合のなかでどのようにすれば力を出せるのか、どの組み合わせならうまくいくのか――それだけを冷静に見て、選手をピッチに送り出した。
 
 何ごとも大袈裟にはしない。しかし、チームが機能するために必要なものを見極められるのだ。
 
「駄馬でも駿馬に映る」は兵法の極意だが、ものは使いよう。良い乗り手が、良い監督ということか。

次ページまず「選手の力を見抜けるか」、そして「適材適所で使う」――

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