レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第3回・マテウス(元ドイツ代表)

2016年08月04日 サッカーダイジェストWeb編集部

「エースキラー」から中盤の攻撃の中心へと大変貌を遂げる。

デビュー間もなくはピッチ内外でやんちゃし放題のマテウスだったが、後に偉大なリーダーとして多くの選手の尊敬を集める存在となった。 (C) Getty Images

 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。
 
8月4日発売号に登場するのは、5度のワールドカップ出場を果たし、90年イタリア大会では背番号10&キャプテンとして母国を世界一に導いたドイツの鉄人、ローター・マテウスだ。
 
 質実剛健のドイツ・サッカーを体現する一方で、スペクタクルかつテクニカルなプレーを披露するなど、様々な側面を持っていた彼の栄光のキャリアを、ここで改めて振り返っていこう。
 
――◇――◇――
 
 1961年3月21日、ドイツのエアランゲンに生を受けたローター・ヘルベルト・マテウス。ニュルンベルク近くの小さな街のクラブでユース年代を過ごし、古豪ボルシアMGに加わったのが18歳の時だった。
 
 巧さよりも強さを前面に出した彼は、「エースキラー」として守備的な側面を高く評価され、十代で頭角を現わす。デビューシーズンでリーグ戦28試合(4得点)を記録したが、さらに驚くべきは、シーズン後のEURO80に西ドイツ代表の一員として出場を果たしたことだ。
 
 ここでは出番はなかったものの、欧州王者の一員となった彼は、ボルシアMGではレギュラーとしての地位を確立し、83-84シーズンまでの在籍期間、全てのシーズンで30試合以上に出場(2シーズンはフル出場)した他、2シーズンで2桁得点も果たした。
 
 84年よりバイエルンに移籍を果たすが、その前のシーズンのDFBカップ決勝にボルシアMGの一員として臨み、バイエルンと対戦。PK戦で1番手として登場して失敗したことが様々な憶測を呼び、ボルシアMGのファンからは恨まれる羽目となってしまった。
 
 バイエルンでは、ファーストシーズンからリーグ3連覇を達成。この頃にはプレースタイルも変化し、「エースキラー」から中盤の攻撃の中心に変貌を遂げ、チームでの影響力は試合ごとに高まっていった。
 
 88年には、当時、世界最高峰リーグだったイタリア・セリエAに挑戦。インテルの背番号10として攻撃の核となるとともに、守備でも大きな貢献を果たした彼は、いきなりチームにスクデットをもたらしてクラブのヒーローとなる。
 
 91年にはUEFAカップ優勝にも尽力したマテウスは、92年にバイエルン復帰を果たす。2000年までこのクラブで過ごし、ポジションを中盤からリベロに移しながらも、チームへの貢献度と影響力は全く落ちることはなかった。
 
 バイエルンでの第二期においても、リーグ3回、UEFAカップ1回を勝ち取ったマテウスだが、彼が唯一手にできなかったのが、チャンピオンズ・リーグである。決勝戦には2度進出するも、一度目の87年には、伏兵ポルトに先制しながらも逆転を許してしまった。
 
 それ以上の失望を味わったのは99年だ。先制してアディショナルタイムに突入しながら、そこからマンチェスター・ユナイテッドが逆転……。サッカー史に残る「カンプ・ノウの奇跡(バイエルンにとっては"悪夢")」により、マテウスの夢は残酷なかたちで打ち砕かれた。
 
 そして00年にMLSのニューヨーク・ニュージャージー・メトロスターズに移籍し、ここで1年を過ごして彼は現役生活に幕を閉じたのだった。

次ページ1990年に念願の世界王者に! 個人でも世界一へ昇り詰めた。

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