川口能活クロニクル――20年前のブラジル戦勝利“マイアミの奇跡”は情報分析の賜物

2016年07月30日 サッカーダイジェストWeb編集部

世界選抜にも勝利したアトランタ五輪ブラジル代表。

世界選抜にも勝ってしまうほどの実力があったアトランタ五輪ブラジル代表。日本は前園主将を中心に最高の準備をして試合に臨んだ。(C) SOCCER DIGEST

 川口能活、40歳。彼のサッカー人生は、言い換えれば、日本代表の"世界挑戦"の歴史と重ね合わせることができる。絶対に負けられない戦いのなかで、彼はどんなことを考えていたのか。日本サッカー界のレジェンドが振り返る名勝負の知られざる舞台裏——―。
 
第2回:1996年アトランタ五輪 グループリーグ第1戦
        U-23日本代表 vs U-23ブラジル代表
 
■もしかしたら大敗するかもしれない…
 
 1996年7月22日、マイアミ・オレンジボウル――。 
 
 この日は僕にとって忘れられない日であると同時に、世界との挑戦が始まった日でもありました。
 
"マイアミの奇跡"と呼ばれるブラジルとの一戦。1996年アトランタオリンピック・男子サッカーグループリーグD組第1戦で、僕たちU-23日本代表はU-23ブラジル代表と対戦し、1対0で勝利しました。誰もが予想しなかったこの結果に、多くのメディアが"マイアミの奇跡"というフレーズで、日本の歴史的な勝利を報道したのです。
 
 そうした反応があったのも当然だったと思えます。ブラジルのメンバーを見れば一目瞭然でした。日本は国内クラブでプレーする選手だけで構成されていました。しかもこの大会から認められたオーバーエイジ枠(23歳以上の選手を3人まで登録できる制度)も使いませんでした。
 
 一方のブラジルは、ジュニーニョ、ロベルト・カルロス、リバウド、ベベット、アウダイール……。そして控えにはあのロナウド(当時の登録名はロナウジーニョ)といった面々が名を連ねていました。ピッチ全体にスター選手を散りばめたような、まさにドリームチームのような豪華な顔ぶれで、下馬評もダントツの優勝候補の筆頭に挙げられていました。
 
 大会前のテストマッチでは、五輪開幕の1週間前にニューヨークで行なわれた世界選抜とのチャリティーマッチにも、強化試合として単独チームとして参戦し、こちらも2対1で勝利したのです。この試合、僕たちは宿泊先のリラックスルームで、チームメイトのみんなと一緒にテレビ観戦したのを覚えています。
 
 もしかしたら大敗するかもしれない――。そんな不安が脳裏をよぎりましたが、その一方で、世界選抜だって負けるんだから、俺たちが負けても仕方がない。思い切り戦おうという覚悟を決めることができました。
 

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