STVV育成部長、高野剛インタビュー【後編】
2018年のFAプロライセンス授与式での高野氏。向かって右に立つのは前ドルトムント監督のテルジッチ氏だ。写真:本人提供
アカデミー出身の選手が続々とトップチームに昇格していくシント=トロイデン(以下STVV)。なぜ彼らは小クラブなのに、タレントを囲い込み続けることができるのだろうか。それは育成部長の高野剛の作る個々の選手の育成計画に対し、選手、親、代理人が絶大な信頼を置いているからだ。
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「しかも私にはプレミアリーグでの指導経験と、FA(イングランドサッカー協会)のプロライセンスがあります。これらは大きい。具体的なサッカーの話――、例えば戦術の話、技術の話を親や選手、代理人がきちんと聞いてくれます。もし私がA級ライセンスのままだったり、プレミアリーグのクラブの指導歴がなかったら、私の話に疑問符が付くと思うんです。STVVに来たとき、私はこういう土台ができていたので、早い段階から信頼してもらうことができました」
今回は高野のFA プロライセンス取得までの奮闘と、STVVでの今を紹介しよう。
高野にはプロライセンスより先にA級の高い壁があった。「A級をどうしても取りたい。ダメなら指導者から足を洗う」。そんな覚悟で高野は2010年、イギリスへ渡った。
イギリスに住むためにはビザが必要。だから高野は翻訳会社の職にインターネットで応募して、受かってから渡英した。彼がリーズという地に住み始めたのには、こうした背景があった。しかし、高野の目標はあくまでFAコーチングライセンスのA級取得である。そのためにも、どこかのクラブで指導経験を積んでいく必要がある。
「サンフレッチェ広島時代、分析官として対戦相手の試合に先乗りしていたとき、Jリーグの審判の質向上のために日本に来ていたイングランド人がいました。彼とは連絡先を交換したり、試合会場で会ったりして、しょっちゅう話をしてました。イギリスに引っ越すことになり彼に連絡したら、地域のサッカー協会の人を紹介してもらいました」
さっそく引っ越しの挨拶をすると、「B級ライセンスのサポートコースがある。ちょっとした補習で内容的には面白くないかもしれないが、人と会うには絶好の場所だから行ってみたら」とアドバイスをくれた。そこで高野は後に大親友となるダレンと知り合った。
「ダレンはブリックハウスという11部リーグのチームを指導してました。彼にメールで『今度、練習を見させてほしい』と連絡したら『ウエルカム。うちに来て感想を教えてほしい』と。その次は『今度は練習してよ』となり、『おお、面白いことをやってくれたね。じゃあ次も』『また次も』と続くうちにチームの成績がどんどん上がっていった。
ハダースフィールドタウン(当時リーグ1/イングランド3部相当)はブリックハウスから車で15分の距離なんです。彼らのスカウトの耳に『ブリックハウスの成績が急上昇しているらしく、どうやら日本人指導者が関わっているらしい。今度、呼んでみよう』となりました」
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「しかも私にはプレミアリーグでの指導経験と、FA(イングランドサッカー協会)のプロライセンスがあります。これらは大きい。具体的なサッカーの話――、例えば戦術の話、技術の話を親や選手、代理人がきちんと聞いてくれます。もし私がA級ライセンスのままだったり、プレミアリーグのクラブの指導歴がなかったら、私の話に疑問符が付くと思うんです。STVVに来たとき、私はこういう土台ができていたので、早い段階から信頼してもらうことができました」
今回は高野のFA プロライセンス取得までの奮闘と、STVVでの今を紹介しよう。
高野にはプロライセンスより先にA級の高い壁があった。「A級をどうしても取りたい。ダメなら指導者から足を洗う」。そんな覚悟で高野は2010年、イギリスへ渡った。
イギリスに住むためにはビザが必要。だから高野は翻訳会社の職にインターネットで応募して、受かってから渡英した。彼がリーズという地に住み始めたのには、こうした背景があった。しかし、高野の目標はあくまでFAコーチングライセンスのA級取得である。そのためにも、どこかのクラブで指導経験を積んでいく必要がある。
「サンフレッチェ広島時代、分析官として対戦相手の試合に先乗りしていたとき、Jリーグの審判の質向上のために日本に来ていたイングランド人がいました。彼とは連絡先を交換したり、試合会場で会ったりして、しょっちゅう話をしてました。イギリスに引っ越すことになり彼に連絡したら、地域のサッカー協会の人を紹介してもらいました」
さっそく引っ越しの挨拶をすると、「B級ライセンスのサポートコースがある。ちょっとした補習で内容的には面白くないかもしれないが、人と会うには絶好の場所だから行ってみたら」とアドバイスをくれた。そこで高野は後に大親友となるダレンと知り合った。
「ダレンはブリックハウスという11部リーグのチームを指導してました。彼にメールで『今度、練習を見させてほしい』と連絡したら『ウエルカム。うちに来て感想を教えてほしい』と。その次は『今度は練習してよ』となり、『おお、面白いことをやってくれたね。じゃあ次も』『また次も』と続くうちにチームの成績がどんどん上がっていった。
ハダースフィールドタウン(当時リーグ1/イングランド3部相当)はブリックハウスから車で15分の距離なんです。彼らのスカウトの耳に『ブリックハウスの成績が急上昇しているらしく、どうやら日本人指導者が関わっているらしい。今度、呼んでみよう』となりました」
ハダースフィールドタウンとのミーティングの場で、高野はFAのA級ライセンス取得のためにイギリスに来たことを告げた。
「分かった。ライセンスのサポートはうちでもできる。FA指導者ライセンスの講師たちがプロクラブのアカデミーに週に1回来て指導者講習や指導者育成をしてくれる。君のような再試験を受ける人のサポートもある。『何が足りない』『こうしたほうがいい』ということも手取り足取り教えてくれるというサポートもある。だからうちのU13チームを見てほしい」
こうしてハダースフィールドタウンでの指導を始めた頃、「クラブの育成カリキュラムとかフィロソフィーなどを作るからそっちにも加勢してくれ」となった。それがイングランドプロクラブの全アカデミーで一斉に実施されたEPPP(イー・トリプル・ピー)という育成改革プログラムの内容に関するものだった。そのEPPPが結果的にイングランドフットボールと代表チームのレベルアップにつながった。これはのちにJリーグの『Project DNA』の礎にもなった。
「A級ライセンスの最終テストは、後にリバプールのヘッド・オブ・コーチングになった方が担当でした。EPPPのクラブフィロソフィーを作っているときに、その人が自分の考えを引き出してくれたんです。テストの最終合否を出す人が私の情報を全部知っていたので、ある程度テストができていれば合格できた、というのは後になって知りました。こうした流れでA級に合格しました」
その1か月後、2012年1月、サンフレッチェ広島の李忠成がチャンピオンシップ(イングランド2部相当)のサウサンプトンに移籍した。李忠成の代理人、稲川朝弘が「2週間だけでいいから、ちょっと李のことを助けてくれないか」と高野に頼んできた。
勤めていた翻訳会社には10日間の有給休暇があったが、すでに彼は1週間使っていて、とても2週間も休めないはずだった。
「しかし、ここがサッカーの母国イングランドなんですよ。『2週間なのですが、よろしいでしょうか?』って無理も承知で社長に訊いたら『すごいことじゃないか! 行って来い!』となったんです。それからサウサンプトンに行って、チュンソンの身の回りの整理、練習の入り、ロッカールームでのチームメイトとの橋渡しなどをやって2週間が経とうとしました。そうしたらチュンソンが『もうちょっといてほしい』と。またコーチ陣からも『高野にもう少しいてほしい』という話が出てきたんです」
コーチたちは、自分たちが言っていることをキチンと李忠成に伝わっているのかどうか心配なので、高野のことをいろいろ試してサッカーの話をしたりする。そのテストに高野は受かったわけだ。こうして翻訳会社の有給休暇が3週間伸びた。
この間にサウサンプトンの出した答えは「高野は使える」。プレミアリーグに昇格した2012-13シーズン、高野はサウサンプトンのコーチングスタッフになった。
「分かった。ライセンスのサポートはうちでもできる。FA指導者ライセンスの講師たちがプロクラブのアカデミーに週に1回来て指導者講習や指導者育成をしてくれる。君のような再試験を受ける人のサポートもある。『何が足りない』『こうしたほうがいい』ということも手取り足取り教えてくれるというサポートもある。だからうちのU13チームを見てほしい」
こうしてハダースフィールドタウンでの指導を始めた頃、「クラブの育成カリキュラムとかフィロソフィーなどを作るからそっちにも加勢してくれ」となった。それがイングランドプロクラブの全アカデミーで一斉に実施されたEPPP(イー・トリプル・ピー)という育成改革プログラムの内容に関するものだった。そのEPPPが結果的にイングランドフットボールと代表チームのレベルアップにつながった。これはのちにJリーグの『Project DNA』の礎にもなった。
「A級ライセンスの最終テストは、後にリバプールのヘッド・オブ・コーチングになった方が担当でした。EPPPのクラブフィロソフィーを作っているときに、その人が自分の考えを引き出してくれたんです。テストの最終合否を出す人が私の情報を全部知っていたので、ある程度テストができていれば合格できた、というのは後になって知りました。こうした流れでA級に合格しました」
その1か月後、2012年1月、サンフレッチェ広島の李忠成がチャンピオンシップ(イングランド2部相当)のサウサンプトンに移籍した。李忠成の代理人、稲川朝弘が「2週間だけでいいから、ちょっと李のことを助けてくれないか」と高野に頼んできた。
勤めていた翻訳会社には10日間の有給休暇があったが、すでに彼は1週間使っていて、とても2週間も休めないはずだった。
「しかし、ここがサッカーの母国イングランドなんですよ。『2週間なのですが、よろしいでしょうか?』って無理も承知で社長に訊いたら『すごいことじゃないか! 行って来い!』となったんです。それからサウサンプトンに行って、チュンソンの身の回りの整理、練習の入り、ロッカールームでのチームメイトとの橋渡しなどをやって2週間が経とうとしました。そうしたらチュンソンが『もうちょっといてほしい』と。またコーチ陣からも『高野にもう少しいてほしい』という話が出てきたんです」
コーチたちは、自分たちが言っていることをキチンと李忠成に伝わっているのかどうか心配なので、高野のことをいろいろ試してサッカーの話をしたりする。そのテストに高野は受かったわけだ。こうして翻訳会社の有給休暇が3週間伸びた。
この間にサウサンプトンの出した答えは「高野は使える」。プレミアリーグに昇格した2012-13シーズン、高野はサウサンプトンのコーチングスタッフになった。