文武両道がモットー。立命館大を卒業
攻守の両局面で力を発揮する川﨑。タフさも持ち味で、本大会での中2日の連戦では間違いなく必要とされる選手だ。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)
パリ五輪に挑む大岩ジャパンのメンバーがついに発表された。ここでは56年ぶりのメダル獲得を目ざすU-23日本代表の選ばれし18人を紹介。今回はMF川﨑颯太(京都サンガF.C.)だ。
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幼い頃のアイドルは当時、甲府で活躍していたMF柏好文(現・サンフレッチェ広島)。柏も所属したフォルトゥナSCで、川﨑颯太も小学校3年生まで技を磨き、憧れの存在のようにドリブラーを目ざしていた。
今のプレースタイルを考えれば、まるで想像がつかないだろう。だが、ここから川﨑は大きく変貌を遂げていく。
小学4年生で加わった甲府U-12でパスを配給する面白さに目覚め、U-15では10番タイプの司令塔として注目を集めた。山梨県では向かうところ敵なし――実力は県内トップクラスだった。
そして川﨑は、さらに高いレベルでのプレーを志し、県外行きを決断する。家族も自身も文武両道をモットーとしていたなかで、候補として上がったのが京都のU-18。(京セラ、京都サンガ、学校法人立命館が核となって文武両道に励む)スカラーアスリートプロジェクトに惹かれ、15歳の春にひとりで見知らぬ土地へ行く道を選んだ。
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幼い頃のアイドルは当時、甲府で活躍していたMF柏好文(現・サンフレッチェ広島)。柏も所属したフォルトゥナSCで、川﨑颯太も小学校3年生まで技を磨き、憧れの存在のようにドリブラーを目ざしていた。
今のプレースタイルを考えれば、まるで想像がつかないだろう。だが、ここから川﨑は大きく変貌を遂げていく。
小学4年生で加わった甲府U-12でパスを配給する面白さに目覚め、U-15では10番タイプの司令塔として注目を集めた。山梨県では向かうところ敵なし――実力は県内トップクラスだった。
そして川﨑は、さらに高いレベルでのプレーを志し、県外行きを決断する。家族も自身も文武両道をモットーとしていたなかで、候補として上がったのが京都のU-18。(京セラ、京都サンガ、学校法人立命館が核となって文武両道に励む)スカラーアスリートプロジェクトに惹かれ、15歳の春にひとりで見知らぬ土地へ行く道を選んだ。
あれから8年。「井の中の蛙だった」と話していた少年は、ひと回りもふた回りも逞しくなった。プレースタイルもさらに変化。パサーではなく、ボールを奪う力と運ぶプレーで勝負する中盤のコンダクターとして名を挙げた。
今やJリーグでも屈指のセントラルMFに成長を遂げたと言っても過言ではない。4-3-3の布陣であればアンカーとインサイドハーフに対応でき、4-4-2などではダブルボランチでも機能する。京都でも曺貴裁監督からの信頼が厚く、プロ4年目となった昨シーズンからはキャプテンを任されるまでに。リーダーシップも魅力だ。
様々な経験を積み、ピッチ外でも今春にはプロ生活と並行して通っていた立命館大学を卒業。ただ、クラブレベルでは結果を残していた一方で、世代別代表では絶対的な存在になり切れず、ボーダーライン上の選手だった。
2019年の11月にはU-20アジアカップ予選に参加した経歴を持つが、中止となった21年のU-20ワールドカップが開催されていたとしても、メンバー入りできたかは分からない。
2022年3月に立ち上がったパリ五輪を目ざすチームでも、当初は当落線上にいた。3月下旬のドバイカップに参戦するメンバーに選ばれたが、アピールできず。同年6月のU-23アジアカップではメンバー外に。一時は序列を下げ、雲行きは怪しくなっていた。
それでもクラブで継続して試合に出ることで、再びパリ行きのレースに加わり、23年に入ってからはほとんどの遠征に名を連ねた。同年6月にはA代表に初招集。気がつけばパリ世代を牽引する選手のひとりとなった。
【PHOTO】悲願のメダル獲得へ!パリ五輪に挑むU-23日本代表18名とバックアップメンバー4人を一挙紹介!
今やJリーグでも屈指のセントラルMFに成長を遂げたと言っても過言ではない。4-3-3の布陣であればアンカーとインサイドハーフに対応でき、4-4-2などではダブルボランチでも機能する。京都でも曺貴裁監督からの信頼が厚く、プロ4年目となった昨シーズンからはキャプテンを任されるまでに。リーダーシップも魅力だ。
様々な経験を積み、ピッチ外でも今春にはプロ生活と並行して通っていた立命館大学を卒業。ただ、クラブレベルでは結果を残していた一方で、世代別代表では絶対的な存在になり切れず、ボーダーライン上の選手だった。
2019年の11月にはU-20アジアカップ予選に参加した経歴を持つが、中止となった21年のU-20ワールドカップが開催されていたとしても、メンバー入りできたかは分からない。
2022年3月に立ち上がったパリ五輪を目ざすチームでも、当初は当落線上にいた。3月下旬のドバイカップに参戦するメンバーに選ばれたが、アピールできず。同年6月のU-23アジアカップではメンバー外に。一時は序列を下げ、雲行きは怪しくなっていた。
それでもクラブで継続して試合に出ることで、再びパリ行きのレースに加わり、23年に入ってからはほとんどの遠征に名を連ねた。同年6月にはA代表に初招集。気がつけばパリ世代を牽引する選手のひとりとなった。
【PHOTO】悲願のメダル獲得へ!パリ五輪に挑むU-23日本代表18名とバックアップメンバー4人を一挙紹介!