【熊本】いまだ3分の1の選手が避難所生活。再出発へ、それでも地元を離れぬ選択をした訳とは?

2016年04月27日 井芹貴志

5月2日からは再始動も練習場所は未定。

熊本の選手たちは、避難所となっている学校などを頻繁に訪れ、サッカー教室などを開いている。写真:井芹貴志

 2度目の震度7を記録した4月16日未明の「本震」から10日が経った。直後からチームとしての活動を休止していた熊本は、同25日から熊本市東区にある民間の人工芝グラウンドなどで自主トレーニングを再開。週明けの5月2日の全体練習再始動、そして同15日の13節・千葉戦からのリーグ戦への復帰に向け、少しずつ歩みを進めている。
 
 ただ現状は厳しい。大きな被害を受けた様子が報道されている益城町出身のGK畑実やDF森川泰臣をはじめ、地震発生直後から支援物資提供の呼びかけや避難所を訪問しての情報収集と発信に奔走している宇城市出身のFW巻誠一郎など、いまだ選手の3分の1ほどは自宅に帰れず避難所での生活を余儀なくされている。
 
 5月2日からの全体練習についても現時点では場所が決まっておらず、余震も少しずつ収まる傾向にあるとはいえ、まだ「地震前」の状況に戻るには長い時間を要する。
 
 それでも選手たちは前を向く。4月21日に行なったミーティングでは、活動拠点を一時的に県外へ移すことも含め、リーグ側から複数の提案がなされたが、中止となった試合の相手クラブへ迷惑をかけること、またトレーニング、栄養面、休息などあらゆる面で十分なコンディション調整ができないこと、リーグ戦への復帰が遅れれば必然的に過密日程が避けられなくなることなど、デメリットも承知したうえで選手たちは熊本に残り、再開に向けて準備することを選択。同日、熊本を訪れていたJリーグの原博実副理事長も、この判断に理解を示した。
 
 その背景には、被災地の地元クラブとして果たさなければならない「使命」がある。それはプロサッカー選手として、本来の仕事であるサッカー、つまりゲームに臨み戦う姿を通して地域に勇気や元気を届ける、ということにとどまらない。
 
 とくに頻繁に行なっているのが、避難所となっている学校などを訪れ、サッカー教室の名目で子どもたちと一緒にボールを蹴ること。最初に行なったのは「本震」から3日後の19日、GK畑が避難していた阿蘇熊本空港ホテルエミナースの施設を利用して開いた教室だったが、活動休止の期間中も、また自主トレーニングが始まった25日以降も、クラブ主導でなく選手たちが自主的に、有志で出向いて地域の子どもたちと交流を図っている。
 

次ページ熊本県全体が大きな傷を負った今、選手たちが今まさに体現する「クラブ理念」。

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