ある天才少年の今――幼稚園時から名波浩にも似た才気を放ったレフティが、荒波を乗り越えて見据える場所

2016年04月26日 加部 究

磐田の監督となった名レフティが、元天才少年についてコメント。

幼稚園時代からすでに周囲とは一線を画す才能をほとばしらせていた。先輩の天才レフティのもとで、「元天才少年」が本格ブレイクする日は近いか。写真:佐藤 明(サッカーダイジェスト写真部)

 足もとにサッカーボールを置いた少年が、そびえ立つ高木を見上げる。ディレクターは、サッカー少年が世界の頂を夢見るイメージを描こうとしたはずだ。
 
 16年前のシドニー五輪最終予選、日本が本大会出場を決めたカザフスタン戦の生中継はそんなシーンで始まった。昵懇のフジテレビ・プロデューサーから「例の天才少年を使いたいんですけど……」と相談を受けた僕は、一応彼の父に話をつないだ。
 
「サッカーのためになるなら僕はやるよ」
 
 そう言って少年は、長い撮影に我慢強く協力したという。ただし使用されたのは、ほんの数秒だったので「え! これだけなの?」と、さすがにそこは落胆したそうだ。
 
 初めて少年を見たのは、幼稚園のグラウンドだった。親子サッカーで間近に接して目を見張った。とにかく一つひとつのプレーに明確な意図があり、大人の間を巧みにすり抜け結論を導いていく。まだ年中(5歳)の子が、左サイドへのドリブルで複数のマークを引き寄せて、逆サイドの開いたスペースを使おうとする。
 
「まるであの頃の名波だな……」
 
 頭に浮かんだのは、東京・国立競技場で初めて見た清水商2年生の名波浩だった。とにかくボールを受ける度に、狙いのあるプレーを懸命にやり遂げようとする姿が印象的だった。線が細くスピードはなかったが、雑なプレーがひとつもなかった。こういう子がしっかり育ってほしいけれど潰されちゃうのかな……と危惧していたが、順天堂大進学後は見違えるように逞しく変貌した。
 
「1試合ごとにパフォーマンスも良くなっているので、期待してもらっていいと思います」
 
 不思議な縁を感じる。磐田の監督となった名レフティが、大宮戦でJ1初ゴールを挙げた元天才少年についてコメントをしているのだ。
 
 フットボーラーは荒波の上を生きていく。誰もが天才と称賛した少年も、何度か波にさらわれかけた。最大のピンチは、磐田移籍後に訪れる。
 
 最初につけたサックスブルーの背番号は「50」、理由は公にしていないようだが、19歳で主将を務めた東京V時代から5倍増の選択には、相応の想いや覚悟が込められていた。だがそんな胸の内とは裏腹に、チームは降格し自身も公式戦のピッチから遠ざかっていく。
 

次ページ23歳のラップタイムは遅すぎるが、一気に加速がつく予感も。

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