自分の無力さに心が折れた時もあった
今季も不動の左SBとして躍動する上原。プレミアリーグの市船戦でも攻守に存在感を示した。写真:松尾祐希
思い描いたキャリアではなかったかもしれない。
上原悠都(3年)、17歳。タレントが揃う昌平で入学早々にレギュラーポジションを掴み、強度の高い守備を武器に右SBで存在感を示したタレントだ。
1年次、夏のインターハイでは4強入りに貢献。2か月後に行なわれたU-17ワールドカップのアジア予選のメンバーにも選出されるなど、今後の飛躍を期待させた。
しかし、そこからは苦悩の日々に。1年次の終わりにU-17日本高校選抜の活動で左膝前十字靭帯を負傷。目標としていたU-17W杯出場も果たせなかった。年末には復帰し、昨年度の高校サッカー選手権ではレギュラーとしてプレーしたが、技術面でもメンタル的にも、伸び盛りの高校生にとってはあまりにも痛い空白期間を過ごした。
――◆――◆――
2024年5月26日、U-18高円宮杯プレミアリーグEASTの第8節・市立船橋戦。開幕から全試合に先発している上原は、この日もスタートからピッチに立ち、左SBのポジションで堅実なプレーを見せた。
6-0で大勝したが、前半は一進一退でどちらが先にゴールを奪っても不思議ではない展開。むしろ昌平は相手のハイプレスを剥がせずに苦労していた。そのなかで上原は、粘り強い守備で相手を封殺。「今までの試合では前半にギアを上げられていなかったけど、入りの面では動けていた」と手応えを感じていた。
迎えた後半に攻撃陣が爆発。サイドを打開したかと思えば、次は中央から。まさに変幻自在の仕掛けでシュート24本を放つワンサイドゲームとなった。上原は積極的に攻撃に関与。後半7分に投入された左サイドハーフ長璃喜(2年)との連係では、ドリブルが武器の相方を後方からサポートする。
追い越す動きでもチャンスに絡み、豊富な運動量で最後までピッチを駆け回った。守備でも最後まで集中力を切らさず、球際の勝負でも簡単に競り負けない。完全復活と呼べるパフォーマンスでチームの勝利に貢献した。
上原悠都(3年)、17歳。タレントが揃う昌平で入学早々にレギュラーポジションを掴み、強度の高い守備を武器に右SBで存在感を示したタレントだ。
1年次、夏のインターハイでは4強入りに貢献。2か月後に行なわれたU-17ワールドカップのアジア予選のメンバーにも選出されるなど、今後の飛躍を期待させた。
しかし、そこからは苦悩の日々に。1年次の終わりにU-17日本高校選抜の活動で左膝前十字靭帯を負傷。目標としていたU-17W杯出場も果たせなかった。年末には復帰し、昨年度の高校サッカー選手権ではレギュラーとしてプレーしたが、技術面でもメンタル的にも、伸び盛りの高校生にとってはあまりにも痛い空白期間を過ごした。
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2024年5月26日、U-18高円宮杯プレミアリーグEASTの第8節・市立船橋戦。開幕から全試合に先発している上原は、この日もスタートからピッチに立ち、左SBのポジションで堅実なプレーを見せた。
6-0で大勝したが、前半は一進一退でどちらが先にゴールを奪っても不思議ではない展開。むしろ昌平は相手のハイプレスを剥がせずに苦労していた。そのなかで上原は、粘り強い守備で相手を封殺。「今までの試合では前半にギアを上げられていなかったけど、入りの面では動けていた」と手応えを感じていた。
迎えた後半に攻撃陣が爆発。サイドを打開したかと思えば、次は中央から。まさに変幻自在の仕掛けでシュート24本を放つワンサイドゲームとなった。上原は積極的に攻撃に関与。後半7分に投入された左サイドハーフ長璃喜(2年)との連係では、ドリブルが武器の相方を後方からサポートする。
追い越す動きでもチャンスに絡み、豊富な運動量で最後までピッチを駆け回った。守備でも最後まで集中力を切らさず、球際の勝負でも簡単に競り負けない。完全復活と呼べるパフォーマンスでチームの勝利に貢献した。
大怪我から戻ってきて約半年。負傷時は「全然重いとは思っていなかった」という。
「普通にサッカーができる状態だったので『別に大丈夫』という感じだった。なので、告げられた時は実感がなくて...」
長期間の離脱は初めて。苦しいリハビリ生活が始まった。
「入院期間が一番長く感じて、とにかく動けなかったのが辛かった」
仲間の活躍を見守ることしかできない。インターハイ予選でチームは準決勝で浦和南にPK戦で敗れ、全国に挑む権利を手に入れられなかった。
上原は自分の無力さに心が折れたという。「気持ちが上がらなくなった」。リハビリを断念してサッカーを辞めることすら考えた。
【画像】小野伸二や中村憲剛らレジェンドたちが選定した「J歴代ベスト11」を一挙公開!
「普通にサッカーができる状態だったので『別に大丈夫』という感じだった。なので、告げられた時は実感がなくて...」
長期間の離脱は初めて。苦しいリハビリ生活が始まった。
「入院期間が一番長く感じて、とにかく動けなかったのが辛かった」
仲間の活躍を見守ることしかできない。インターハイ予選でチームは準決勝で浦和南にPK戦で敗れ、全国に挑む権利を手に入れられなかった。
上原は自分の無力さに心が折れたという。「気持ちが上がらなくなった」。リハビリを断念してサッカーを辞めることすら考えた。
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