【連載】小宮良之の『日本サッカー兵法書』 其の六十六「岡崎慎司の美技が示した“ひらめき・創造性”の正体」

2016年04月14日 小宮良之

しっかりイメージできているか否かが、一流とそれ以外の違い。

どこでプレーしているか、も大事だろうが、どのような練習をしているか、に着目することが必要。 写真:佐藤 明(サッカーダイジェスト写真部)

「あんな抜け方はしたことなかったですが、一瞬の判断で決めました」
 
 先月のロシア・ワールドカップ・アジア2次予選のアフガニスタン戦後、岡崎慎司は自らの得点――ゴール前でターンした直後、寄せてきたDFの股を鮮やかに通し、左足を振り抜いた――をこう振り返った。
 
 プレミアリーグという修羅場で生き抜いているからだろうか。刹那のイメージの豊富さと鋭さは破格だった。
 
 ゴールした場面だけでなく、例えばポストに入った時も、次にどんなプレーを味方に求めているのか、"プレーの続き"が伝わってきた。また、連係がうまくいかなかったシーンでも、成立しなかったプレーの続きの幻影があった。
 
 では、どうすれば岡崎のように果断なプレーができるのか? やはり、練習のなかでスキルを上げていくしかないだろう。しかし……。
 
 試合では、同じプレーが再現されることは決してない――。
 
 これは、フットボールというゲームの鉄則である。同じようであっても、全く同じであることはない。敵、味方、自分のコンディション、試合の様相、それに芝……無数の条件によって、そのプレーは生み出されるからだ。
 
 よく、ポストの選手にパスを入れ、そのリターンをシュートというトレーニングを見かける。それは、実戦を想定したら、ほとんど意味がない。フリーでパスを入れ、フリーのポストが落とし、フリーのシューターが蹴り込む。そんなシチュエーションは、実戦ではあり得ない。
 
 しかし、イメージすることによって、必ず身につくスキルはある。
 
 世界的なゴールゲッターだったラウール・ゴンサレスは少年時代、来る日も来る日も、ウェーブの動きでパスを呼び込み、シュートするという練習を繰り返した。反復することによって、基礎の動きを無意識でもできるようにし、そこから応用できるまでに至った。
 
 ラウールは、シュートまでのイメージをがっちり作ることで、その技術をマスターした。これは当たり前のように思えるかもしれないが、ここで問われるのは、しっかりイメージできているか、である。
 
 これが、一流サッカー選手とそうでない選手たちとの違いと言えよう。日々の単純な練習のなか、格差は少しずつ生まれる。
 
 イメージを確立することによって、相手より先に手を打てる。それは、足の速さよりもはるかに有効だ。プレーに失敗した時でも、(繰り返しの練習のなかで得た)その先のイメージが複数あることで、リカバリーが容易になる。結果として、心理的にも不利に立つことはない。

次ページ想像するから先を読める。先が読めれば、選択肢が増える――。

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