【今日の誕生日】4月2日/歴史を変えたアフリカの雄の統率者――ザキ(元モロッコ代表GK & 監督)

2016年04月02日 サッカーダイジェストWeb編集部

リーダーシップと驚異的なセービングで英雄となった守護神。

大会前は全く見向きもされなかったチームの大躍進。守備ではザキ(上段右端)が、攻撃ではモハメド・ティムミ(下段右から2人目)が注目を浴びた。 (C) SOCCER DIGEST

◇"ザキ"エザキ・バドゥ:1959年4月2日生まれ モロッコ・シディカセム出身

 1986 年メキシコ・ワールドカップに、アルジェリアとともにアフリカ代表として出場したモロッコ。4大会ぶりの本大会を前に、彼らは完全なアウトサイダーとして扱われていた。
 
 同じグループにイングランド、ポーランド、ポルトガルが組み込まれたのだから、現在よりも情報の乏しい時代では、モロッコがダントツの最下位候補とされるのも仕方のないことであり、誰もが欧州の3か国による熾烈な首位争いにしか関心を抱かなかった。
 
 しかし、いざ戦いの幕が開けると、この「マグレブの雄」は初戦で前大会3位のポーランド、続いて強国イングランドの攻撃を封じ込め、勝点2を稼いでみせる。そして迎えたポルトガルとの最終戦では、攻撃サッカーで勝負をかけた。
 
 そのプレーは見事であり、ロングシュート、豪快なボレー、そして最後は緩急と長短を織り交ぜた鮮やかなパスワークでポルトガル守備陣を切り裂いて3-1の快勝。戦前は蚊帳の外に置かれたモロッコは、グループ1位で決勝トーナメント進出を果たした。
 
 そしてこれは、ワールドカップにおけるアフリカ勢初のグループリーグ突破でもあった。
 
 歴史を変えたモロッコ。その中心として、最後尾からチームを統率したのが、キャプテンでもあるGKの"ザキ"ことエザキ・バドゥだった。
 
 モロッコを代表するクラブのひとつであるウィダド・カサブランカに所属したザキは、安定感抜群の守護神であり、DF陣を巧みにリードし、相手がゴール前に迫った際には、驚異的な敏捷性と空中戦の強さでゴールを死守した。
 
 その凄さは、決勝トーナメント1回戦の西ドイツ戦でも発揮され、カール=ハインツ・ルムメニゲの至近距離からのシュートを防いだ他、次々にスーパーセーブを披露し、欧州の強国に幾度も失望を与えていった。
 
 しかし、延長戦突入かと思われた矢先、彼は痛恨のミスを犯す。FKの壁の作り方が甘く、そこをキッカーのローター・マテウスに突かれた。思わぬコースから飛んできた強シュートには反応が遅れ、横っ跳びで懸命に手を伸ばしたものの、ボールはその先をすり抜けていった。
 
 モロッコとザキの戦いは、ここで終わった。しかし、彼の知名度は一気に上がり、大会ベストGKにザキの名を挙げる評論家やジャーナリストも少なくなかった。
 
 彼はこの活躍によって母国では誰からも尊敬を集める存在となり、大会後にはスペインのマジョルカへの移籍。ここでは92年までプレーし、2部リーグで過ごした88-89シーズンには、最も優れたGKに贈られる「サモラ賞」を受賞するなど、本場でもその力を発揮し続けた。
 
 93年に現役を退いた後は指導者に転身し、国内クラブの指揮を経て、2002年にはモロッコ代表監督に就任。05年に退任するも、14年に再び代表を率い、今年2月、アフリカで数々の実績を上げているフランス人、エルベ・ルナールにその座を託した。
 
 さて、この英雄がリードしたモロッコが86年に新たな歴史を作って以降、アフリカの様々な国が、ワールドカップで旋風を巻き起こしてきた。
 
 90年イタリア大会では、カメルーンが開幕戦で王者アルゼンチンを下す大番狂わせを起こしてベスト8入りを達成し、94年アメリカ大会、98年フランス大会ではナイジェリアが決勝トーナメント進出を果たした(いずれもベスト16)。
 
 02年日韓大会ではセネガルが開幕戦で王者フランスを撃破し、ベスト8まで到達。06年ドイツ大会でベスト16入りしたガーナは、続く10年南アフリカ大会でも勝ち進んだが、ウルグアイとの準々決勝ではPK戦で涙を飲み、アフリカ勢初のベスト4入りはならなかった。
 
 そして14年ブラジル大会では、アルジェリア、ナイジェリアがベスト16入り。決勝トーナメントにアフリカ勢が2チーム進んだのは史上初のことだった。特に現日本代表監督のヴァイッド・ハリルホジッチに率いられたアルジェリアは、後に王者となるドイツ相手に、延長戦に突入する健闘を見せた。
 
「世界を制覇するのも時間の問題」といわれた90年代前半に比べると、現在はやや勢いの衰えているアフリカ勢だが、86年以降、着実に進歩しているのは事実であり、今後も世界に驚きを提供していくことだろう。
みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事