「試合に出ないと終わりだなと」
熊本では4年間活躍した南氏。写真:田中研治(サッカーダイジェスト写真部)
昨季限りで現役を引退した南雄太氏が、播戸竜二氏のYouTubeチャンネルに出演。自身のキャリアを振り返った。
【動画】レジェンドGK南雄太が熊本移籍を振り返る
南氏は静岡学園高を卒業後の1998年に、柏レイソルでプロキャリアをスタート。10年にロアッソ熊本に移籍し、その後は横浜FCと大宮アルディージャでプレーした。J1の266試合とJ2の399試合を合わせた665試合は、Jリーグの通算GK最多出場記録だ。
そんなレジェンドGKは、動画内で熊本に移籍した際の状況を明かした。12年間所属した柏を契約満了となり、出場機会を求めて新天地を選んだという。
「当時30歳、なかなか厳しいとなったなかで、試合に出ないと終わりだなと。そこに結構こだわった。自分をちゃんと評価してくれるところ」
【動画】レジェンドGK南雄太が熊本移籍を振り返る
南氏は静岡学園高を卒業後の1998年に、柏レイソルでプロキャリアをスタート。10年にロアッソ熊本に移籍し、その後は横浜FCと大宮アルディージャでプレーした。J1の266試合とJ2の399試合を合わせた665試合は、Jリーグの通算GK最多出場記録だ。
そんなレジェンドGKは、動画内で熊本に移籍した際の状況を明かした。12年間所属した柏を契約満了となり、出場機会を求めて新天地を選んだという。
「当時30歳、なかなか厳しいとなったなかで、試合に出ないと終わりだなと。そこに結構こだわった。自分をちゃんと評価してくれるところ」
そこで熊本への移籍が決まりそうな段階で、代理人から鹿島が興味を示していると告げられたという。
その頃の鹿島の正守護神には、曽ケ端準氏が君臨していた。日本が準優勝した99年のワールドユース(現・U-20ワールドカップ)では、南氏が正GKで曽ケ端氏が第3GKという位置づけだった。
「でも俺、ソガと仲良かったし、鹿島に行ってソガとポジション争いするっていうのも、あまり考えられなかった」
最終的には、熊本への移籍を決断。定位置を確保し、4年間で155試合出場の活躍した。南氏は「行って良かったなって、めちゃくちゃ、今になって思う」としみじみと語った。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
【記事】南雄太の"衝撃OG"が中国で再注目されたワケ。理由は「本当に『俺か』と思うぐらい同じ」
その頃の鹿島の正守護神には、曽ケ端準氏が君臨していた。日本が準優勝した99年のワールドユース(現・U-20ワールドカップ)では、南氏が正GKで曽ケ端氏が第3GKという位置づけだった。
「でも俺、ソガと仲良かったし、鹿島に行ってソガとポジション争いするっていうのも、あまり考えられなかった」
最終的には、熊本への移籍を決断。定位置を確保し、4年間で155試合出場の活躍した。南氏は「行って良かったなって、めちゃくちゃ、今になって思う」としみじみと語った。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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