20年前の国立決戦、北朝鮮に3発完勝。約3万人が掲げた青い応援ボード。レジェンド澤穂希が回想「本当に嬉しかった。勝つ原動力になった」

2024年02月27日 西森彰

渾身のショルダーチャージで吹っ飛ばす

20年前の北朝鮮戦でも魂のこもったプレーを見せた澤氏。「絶対に負けられない」と強い想いで戦った。写真:早草紀子

 パリ五輪出場を賭けて、なでしこジャパンの決戦が近づいてきた。

 対戦相手は北朝鮮。平壌からサウジアラビアのジッダへ会場が変更された2月24日の第1戦はスコアレスドローで終わった。今回は「アウェーゴール2倍ルール」はなく、28日、国立競技場で行なわれる第2戦に勝った方が五輪本大会の出場権を手にする、シンプルな条件になった。

 20年前、やはり五輪の切符を賭けて、日本と北朝鮮は、同じ国立競技場で相まみえている。2004年アテネ五輪のアジア地区最終予選だった。大会の準決勝で勝った2チームに出場権が与えられるというレギュレーションで、グループステージの結果、日本は北朝鮮と対戦することになった。

 現在は日本がFIFAランキングで上回っている(日本8位、北朝鮮9位)が、当時の北朝鮮は、中国と並ぶアジアのツートップで、日本より1、2枚、格上の存在だった。下馬評では「日本が不利」とされていた。

 しかし、「たぶん、女子では初めて」と、元なでしこジャパンの10番、澤穂希氏が振り返ったスカウティング班の助けも借りて、日本は戦術を再構築。相手選手の特徴、セットプレーまで細かな分析を行ない、北朝鮮との差を詰めていった。
 
 個々の局地戦でも、フィジカルに勝る北朝鮮の選手にひるむことなく挑んだ。その勢いを与えたのは、直前の怪我で出場さえ危ぶまれていた澤氏。キックオフ直後、渾身のショルダーチャージで北朝鮮のエース、リ・クムスクを、文字通りに吹っ飛ばした。

「あそこは絶対に負けられないなと思いました。アドレナリンも出ていたし、この先、自分が90分、試合をできなかったとしても、自分の中でのベストをやり切ろうと思って、何が何でもフィフティ・フィフティのボールは絶対取ってやろうという思いがありました。それがあのプレーだったと思います。

 あのプレーは覚えているんですが、その後については、自分の記憶も飛んでいるというか...。自分の身体と心が、これまでにないくらいに追い込まれていたので、ただ、そうしたなかでも『これだけできるぞ!』と見せられたのは良かったし、それで日本が勢いづいたのなら、良かったと思います」(澤氏)

 このプレーが、国立競技場に詰めかけたサポーターに火を付けた。澤氏自身は、入場時にスタンドから約3万人が掲げた青い応援ボードから、会場の一体感を感じていたという。

 好プレーの一つひとつに反応する大歓声が、次のチャンスを生み出していく。荒川恵理子の先制ゴールが生まれると、国立に生まれた熱狂は誰にも消せないものとなり、地滑り的な大勝をもたらした。日本が3-0で大一番を制した。

【PHOTO】パリ五輪出場権がかかる北朝鮮戦へ!なでしこジャパンの清水梨紗、長谷川唯らが笑顔で前日練習を実施!

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