【連載】小宮良之の『日本サッカー兵法書』 其の六十三「久保建英でも成功は難しかった!?……海外における日本人未成年の致命的弱点」

2016年03月24日 小宮良之

海外で得られるものは確かに多いかもしれないが、一方では…。

もし久保がバルサに残っていたら、数少ない成功例となっただろうか。 (C) Getty Images

 少年が海外で夢を追い、サッカー選手になる。
 
 その響きは悪くない。まるでスポーツ漫画のようである。
 
 しかし、日本人の未成年選手が欧州でプロになることは、原則的には難しい。なぜなら、FIFAは2009年から、外国人の未成年選手との契約を認めていない。
 
 移籍条項第19条にある、未成年者の国際移籍を禁止する規定では、日本人の場合、「両親がサッカー以外の仕事で移住した時」という条件であればクラブとの契約も可能になるが、実際にこうしたケースはごく稀だろう。
 
 各クラブはこれを有名無実のルールと解釈し、"青田買い"を続けていたが、FIFAは最近になって締め付けを強めた。事実、バルサに在籍していた久保建英(現在はFC東京の下部組織に在籍)も、このルールに抵触。実力を高く評価されながら、帰国を余儀なくされた。
 
 では、このルール強化は、日本人選手にとってハンデなのだろうか?
 
 確かに、語学や異なるライフスタイルを習得するのは、若ければ若いほど良いと言われる。少年期のほうが順応力、適応力が柔軟かもしれない。早くから高いレベルを経験することで、プレーの幅を広げ、様々な環境で違和感なくプレーできるメリットもあるだろう。
 
 また、手足のリーチの違いやメンタリティーの多様性、ボールと足を一緒に刈り取るようなタックルを経験することで、選手として鍛えられるかもしれない。
 
 しかし、未成年の日本人が海外でプレーする場合、これらのメリットよりもデメリットのほうがしばしば大きく出てしまう。
 
 十代にして海外で順応し、活躍を遂げる選手は「図太さ」を持っている。言い換えれば、厚かましくないとやっていけない。ブレないメンタリティー、"鈍感力"とでもいうのか……とにかく物事に動じることがない。
 
 それは、立ち戻れるアイデンティティーがあるから、と言うこともできるだろう。
 
 例えば、世界最高の選手であるリオネル・メッシは、成長促進剤を自ら身体に注射しながら、バルセロナでトップ選手になっていった。その肝の太さは、瞠目に値する。彼は13歳で母国アルゼンチンからスペインにやって来た時から、どの選手よりも野心的で、向上心が高かった。
 
 そんなメッシが拠りどころにしたのは、アルゼンチン人としてのアイデンティティーだったと言われる。

次ページ海外に行くのは早ければ早いほど良い」というのは幻想である。

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事