「当時の環境や状況は今と別」前園真聖が“唯一の心残り”を明かす!スペイン移籍は実現せず「通用しなかったかもしれないけど...」

2024年02月19日 サッカーダイジェストWeb編集部

「もう化け物だった」と回想

前園氏がアトランタ五輪後を振り返った。(C)Getty Images

 元日本代表MFの前園真聖氏が、播戸竜二氏のYouTubeチャンネルに出演。現役時代の"唯一の心残り"を明かした。
【動画】「若さもあったし不信感もあって」前園真聖がアトランタ五輪後を振り返る
 1996年のアトランタ五輪で日本の主将を務めた前園氏は、攻撃の中心選手として活躍。ブラジルやナイジェリアなど強豪国と対戦し、世界の大舞台を経験したことで、海外でプレーする必要性を痛感したという。

 当時のブラジルにはロナウドやロベルト・カルロス、リバウドらがいて、ナイジェリアにはヌワンコ・カヌやオーガスティン・オコチャも。前園氏は「もう化け物だった」と振り返る。

「海外でこの人たちと同じところで毎日練習しないと、この先多分、通用しないだろうなってすごく実感した。別物だったから、同じ世代でも」

 帰国後、すぐに海外進出を目ざした前園氏だったが、当時は代理人制度が浸透しておらず、移籍金が高額だったこともあり、ハードルが高かった。
 
 そのなかで、スペイン1部のセビージャからオファーがあったが、所属していた横浜フリューゲルスから口外しないようにと言われていたという。

「今は分かる。当時の環境やチームの状況は、今と別なので。でも、その頃の俺は23歳で『何で出さないの?』って。若さもあったし不信感もあって、このチームにいたら移籍できないと思った」

 その後、紆余曲折を経てヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)に加入。実現しなかった海外挑戦について、「もちろん行っても通用しなかったかもしれないけど、自分のなかでは納得感がある。唯一の心残りは、そこだけ」と語った。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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