“ベガルタの顔” 梁勇基が引退会見。「やり切った」と涙はなく、晴れやかな笑顔。決断の理由、今後について語る

2023年12月23日 小林健志

アウェー磐田戦で生まれた感情

20年のプロ生活に終止符を打った梁。確かな技術と戦術眼が魅力のプレーメーカーだった。写真:小林健志

 12月18日、J2仙台はMF梁勇基の引退を発表した。

 2004年に練習生で仙台に加入後、チームの主力選手に成長。この20年間でJ1通算297試合出場29ゴール、J2通算280試合出場47ゴール、ルヴァンカップ通算39試合出場3ゴール、天皇杯通算27試合出場2ゴール、2013年のチャンピオンズリーグ5試合出場1ゴールという輝かしい戦績を残し、うちJ1鳥栖でプレーした2年間(2020~21年)を除く18年間を仙台でプレーし、仙台の顔と言うべき選手がユニホームを脱ぐ。

 12月23日、株式会社ベガルタ仙台本社で、梁は引退会見を行なった。最初はやや硬い表情だったが、終始冷静にこれまでのことを振り返り、「選手を辞めるということで寂しい気持ちもありますが、スッキリした気持ちが強いです。選手としてやり切ることができたという気持ちのほうが強いですね」と涙は一切見せなかった。

 引退を決めた時期については「今年に限った話ではないですが、ここ数年、頭のどこかで引退ということを考えながらプレーを続けてきました。シーズンが終了して何日か過ごしていくなかで、気持ちの面で来年1年しっかりサッカーができるかを考えると、今までと違う感情が出てきたのが理由の一つです。来年もう1回頑張ろうという気持ちが、シーズン終了時にはあったのですが、もうやり切ったなという思いが強くなって、こういう時が来たということです」と語り、シーズン終了後に最終的に決断したという。
 
 その決断のきっかけとしては「今年で言えば、なかなか勝てていない時期にアウェーのジュビロ戦(8月6日、J2第29節)でスタメンでした。この試合にかける思いは強くて、ここでチームを勝たせなければと臨んで、勝てずに終わって(1-4での敗戦)、その頃から勝たせられなかったという思いが生まれ、自分もここまでかという感情が強くなりました」と、先発出場しながら敗れた夏の試合を挙げた。この日から最終節の町田戦の試合終盤に途中出場するまで、出番はなかった。

 印象に残っている試合を問われると「2008年の(磐田との)J1・J2入れ替え戦、翌年J1昇格を決めたアウェーの水戸戦、その翌年のJ1開幕の磐田戦、震災があった後に行なわれたチャリティマッチなどの記憶が強く残っています」と思いを馳せる。

 特に震災については「自分たちも震災を経験し、サッカーができるか、できないかという状況で、(震災後最初に等々力で行なわれた川崎戦で)たくさんスタジアムに駆けつけてくれた時はビックリしました。それだけベガルタに期待して駆けつけてくれて、その結果、良い勝ち方ができました。サッカーの力、サッカーの素晴らしさを感じました」と当時を振り返った。

【PHOTO】サポーターが創り出す圧巻の光景で選手を後押し!Jリーグコレオグラフィー特集!

次ページセカンドキャリアは?

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事