なぜブラジルの名門サントスは日本をオマージュするユニホームを作ったのか。“鯉”が描かれたシャツは予約殺到の人気ぶり【現地発】

2023年11月20日 リカルド・セティオン

4人の日本人選手がプレー

現在は14位に低迷しているサントス。(C)Getty Images

 ブラジルのサントスは、サッカー好きならその名を知らない者はいないだろう。

 神様ペレやカルロス・アルベルトからロビーニョ、ネイマールまで多くのスターを輩出してきた。しかしそんな名門も、2011年のリベルタドーレス杯優勝を最後に、ここ10年以上何のタイトルも勝ち取れていない。それどころかここ数年間はリーグでも低迷し、8位、10位、12位と毎シーズン順位を落とし、今季も一時は降格圏に沈むなど苦しんでいる。

 そんなサントスを、再び世界に名だたるチームへと帰り咲かせたい。そんな思いから始められたのが「サントス・ドゥ・ムンド(世界のサントス)」プロジェクト、世界各地に捧げるサードユニホームだ。

 第1回目の昨年はアフリカへのオマージュとして、かの地の民族衣装にインスパイアされたユニホームを作成した。サントスのマーケティング部門に聞くと、1969年にペレがサントスと共にアフリカツアーに行き、その試合のおかげで戦争が数日間止まったことを記念して、ということだった。
 
 そして今年、サントスがオマージュを捧げる相手として選んだのは日本だった。実はサントスと日本との間には深い絆がある。

 サントスでは、これまで4人の日本人選手がプレーしている。三浦知良、水島武蔵、前園真聖、菅原智。これはブラジルのトップチームでは一番の記録である。

 逆にサントスから日本に行った選手や監督も多い。Jリーグの最初のブラジル人監督ペペ(東京ヴェルディ)、鹿島アントラーズを3連覇に導いたオズワルド・オリベイラ監督、現在で言えば鹿島のMFピトゥカがいる。その関係からか、胸スポンサーもパナソニックや東芝など日本企業が少なくなかった。

 またサントスはその111年の歴史の中で、16回も日本に行って試合をしている。2011年、ネイマールと共に来日したFIFAクラブワールドカップ以外はほぼ親善試合であるが、それだけに日本との関係の深さを感じさせる。

 絆はサッカーだけに留まらない。ブラジルの最も大きな外国人コミュニティはサントスにある日本人コミュニティである。また日本移民が最初にブラジルに上陸したのもサントスと言われ、海辺の公園にはそれを記念した銅像が立っている。ブラジルでは6月18日が日本移民の日であるが、その日付近の試合では、サントスは毎年チームロゴの左上のボールの部分を日の丸に変えたユニホームでプレーしている。

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