夢を与えられるプレーヤーになれたか
10月3日に今季限りでの現役引退を発表した太田。メディアへの気配りもプロ中のプロである。写真:鈴木颯太朗
2023年10月3日、FC町田ゼルビアの太田宏介選手が今季限りでの現役引退を発表した。ついにこの日が来たかと思うと同時に、プロ生活をここまで18年続けた凄さを素直に感じる。
少し気が早いが、今は太田選手に「長い間、本当にお疲れ様でした」と伝えたい。
と、ここまで少し馴れ馴れしいスタンスでなぜ書いたかというと、著者が特別な感情を抱く選手のひとりだからだ。記者という立場上、特定のプレーヤーに肩入れするのはおそらく良くないことだろうが、そうなってしまう理由がある。
週刊サッカーダイジェストの副編集長時代、太田選手の「ルーツ探訪」という企画を担当した。本人だけでなく、家族、恩師にも話を聞いて仕上げた「太田宏介のヒストリー(タイトルはゴールなき母親孝行)」は、これまでの記者人生でもっとも自己採点が高い作品になった。「この方たちから聞いた話をどう繋ぎ合わせ、物語として完成させるか」、悩みに悩みながら原稿を書いた日々の記憶は今なお色褪せない。
有難いことに、太田選手は引退会見でその記事のことに触れてくれた。
「中学の時に家庭環境がすごく変わった中、僕はプロサッカー選手になって、兄は大学を卒業したら起業して母親を楽にさせてあげようという想いで兄弟頑張ってきました。色々と大変なこともありましたけど、とにかく家族みんなが幸せになれるように兄弟で力を合わせることが僕の最大のモチベーションになっていました。
それをずっとブレずに忘れずに貫き通したことがキャリアを伸ばせた最大の要因だと思っています。日本代表で悔しい想いたくさんしましたが、その悔しさが新たなモチベーションになって後のキャリアに影響したと思います。
(著者の)白鳥さんには素敵な記事を書いていただいて、それを1年に何回もみんなで見直して。それも自分の目標を見つめ直す良い機会になりましたし、モチベーションになりました。今後も白鳥さんの記事を見つめ直して、もっと、もっと上を目指して頑張っていきたいです」
少し気が早いが、今は太田選手に「長い間、本当にお疲れ様でした」と伝えたい。
と、ここまで少し馴れ馴れしいスタンスでなぜ書いたかというと、著者が特別な感情を抱く選手のひとりだからだ。記者という立場上、特定のプレーヤーに肩入れするのはおそらく良くないことだろうが、そうなってしまう理由がある。
週刊サッカーダイジェストの副編集長時代、太田選手の「ルーツ探訪」という企画を担当した。本人だけでなく、家族、恩師にも話を聞いて仕上げた「太田宏介のヒストリー(タイトルはゴールなき母親孝行)」は、これまでの記者人生でもっとも自己採点が高い作品になった。「この方たちから聞いた話をどう繋ぎ合わせ、物語として完成させるか」、悩みに悩みながら原稿を書いた日々の記憶は今なお色褪せない。
有難いことに、太田選手は引退会見でその記事のことに触れてくれた。
「中学の時に家庭環境がすごく変わった中、僕はプロサッカー選手になって、兄は大学を卒業したら起業して母親を楽にさせてあげようという想いで兄弟頑張ってきました。色々と大変なこともありましたけど、とにかく家族みんなが幸せになれるように兄弟で力を合わせることが僕の最大のモチベーションになっていました。
それをずっとブレずに忘れずに貫き通したことがキャリアを伸ばせた最大の要因だと思っています。日本代表で悔しい想いたくさんしましたが、その悔しさが新たなモチベーションになって後のキャリアに影響したと思います。
(著者の)白鳥さんには素敵な記事を書いていただいて、それを1年に何回もみんなで見直して。それも自分の目標を見つめ直す良い機会になりましたし、モチベーションになりました。今後も白鳥さんの記事を見つめ直して、もっと、もっと上を目指して頑張っていきたいです」
それらの言葉を聞いて、グッと来る。
繰り返すが、太田選手に対しては特別な思い入れがある。どんな家庭環境だったか、プロになってどんな苦労をしてきたのか、それを知っているからこそ情がわくのである。
しかも、太田選手は良いやつなのだ。どんなに有名になっても初心を忘れず、常に「過信しないように」と心掛けていて、だから、試合の後はファン・サポーターに向かって誰よりも深くお辞儀をする。
「ルーツ探訪」の取材時に本人から聞いた、忘れられない言葉がある。
「俺の人生に携わってくれた方への感謝の気持ちは忘れていません。行動でも示しているつもりです。それがなくなったら、俺は終わりです。だから、満足することなく常に上を目指す。夢を与えられるプレーヤーになりたいです」
果たして、夢を与えられるプレーヤーになれたか。引退会見後の囲み取材でそう訊くと本人は即答してくれた。
「与えられたと思います。スタジアムでも練習場でも声をかけてくれた子どもたちには100パーセントで接してきましたし、それは自分の中でも意識してやってこれたので、夢を与えられたという自負はあります」
改めて思う。太田宏介は本当に良いやつだ。そんな彼のルーツを題材にした原稿を書けたことは幸せだった。
文●白鳥和洋(サッカーダイジェストTV編集長)
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繰り返すが、太田選手に対しては特別な思い入れがある。どんな家庭環境だったか、プロになってどんな苦労をしてきたのか、それを知っているからこそ情がわくのである。
しかも、太田選手は良いやつなのだ。どんなに有名になっても初心を忘れず、常に「過信しないように」と心掛けていて、だから、試合の後はファン・サポーターに向かって誰よりも深くお辞儀をする。
「ルーツ探訪」の取材時に本人から聞いた、忘れられない言葉がある。
「俺の人生に携わってくれた方への感謝の気持ちは忘れていません。行動でも示しているつもりです。それがなくなったら、俺は終わりです。だから、満足することなく常に上を目指す。夢を与えられるプレーヤーになりたいです」
果たして、夢を与えられるプレーヤーになれたか。引退会見後の囲み取材でそう訊くと本人は即答してくれた。
「与えられたと思います。スタジアムでも練習場でも声をかけてくれた子どもたちには100パーセントで接してきましたし、それは自分の中でも意識してやってこれたので、夢を与えられたという自負はあります」
改めて思う。太田宏介は本当に良いやつだ。そんな彼のルーツを題材にした原稿を書けたことは幸せだった。
文●白鳥和洋(サッカーダイジェストTV編集長)
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