25年ぶりのラブコール――川口能活をJ3相模原移籍に導いた先輩からのオファーと胸を打った言葉とは?

2016年01月27日 小須田泰二

「自分を必要としてくれるクラブがある。それだけで嬉しかった」

今季から相模原のユニホームに袖を通すことになった川口。今年でプロ生活23年目を迎える。写真:小須田泰二

「今年で41歳になる川口能活です。能活と呼んでください」
 
 1月21日、J3のSC相模原に移籍した元日本代表GKの川口能活が新たなスタートを切った。チームに初合流した練習前、彼は屈託のない笑顔を見せながらチームメイトとなる仲間たちに対し、自己紹介をかねて挨拶を交わした。
 
 プロ生活23年目。日本サッカー界をリードしてきた男はなぜJ3の相模原を選んだのか。
 
 決断の背景には、ある人間の存在が大きく影響している。その人物とは、望月重良。相模原の代表取締役会長である。
 
「どうしても(川口)能活の力を貸してほしかった。彼のキャリアは素晴らしいし、とても価値があるもの。彼がいるだけで、チームに活力を与えてくる。彼が与えるメリットは計り知れない。だから僕は去年の夏に連絡を取ったんです。怪我で離脱していた時期でしたが、その近況確認をかねて、現役を続ける意思があるのか。そしてもしあるなら、ぜひうち(相模原)でプレーしてくれないかとね」
 
 正式なオファーではないものの、望月のラブコールは川口にとって素直に嬉しいものだった。
「岐阜との契約がありましたが、来年の契約延長のお話はまだもらっていませんでしたし、来年プレーできるクラブがあるのかということを考えるとすごく不安でしたから。自分を必要としてくれるクラブがある。それだけですごく嬉しかったです」(川口)
 
 11月23日のホーム最終戦、福岡戦で川口は約7か月半ぶりにスタメン復帰を果たした。想像以上に長引いたものの、ピッチに立った時の気分はやはり爽快だった。決して本調子ではないものの、身体のキレさえ戻ればまだまだできるという感覚も掴めていた。
 
 しかし4日後、岐阜から契約延長のオファーはなく、今シーズン限りでの退団が発表された。事実上の戦力外通告である。
 
 そのニュースを聞いて、望月はすぐに川口の携帯電話を鳴らした。当時の状況について望月は細かく説明する。
「夏以降も、ずっと能活の情報は追っていました。岐阜との契約が切れたことは、能活にとっては決してポジティブな出来事ではありません。ただ、変な言い方ですが、我々にとっては願ってもないチャンス。すぐにオファーを出しました。数日待ってほしいと言われた後は、早く返事をくれないかなって、ずっと想っていました」
 
 そして12月25日、川口能活入団決定は相模原のオフィシャルホームページにて発表された。その日にリリースしたのは、望月の相模原サポーターへのクリスマスプレゼントという気持ちも込められていたという。

次ページ入団の決め手は「ひと花咲かせてほしい」。

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