31年前にはじまったプレミアリーグ。いかにして危険な場所から隆盛を極める“劇場空間”へと変貌を遂げたのか

2023年08月16日 石川聡

1992年8月15日、新設されたプレミアリーグが開幕!

プレミリーグの歴史的な“初日”は波乱続出。のちに栄華を謳歌するマンチェスター・Uも伏兵の前に敗れ去った。(C)Getty Images

 昨シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで初優勝を成し遂げ、プレミアリーグとFAカップの国内二冠も獲得したイングランドのマンチェスター・シティが、7月下旬にプレシーズンのツアーで来日した。26日に行なわれたバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)との国際親善試合は、舞台となった国立競技場が6万5049人の大観衆で埋まり、シティのレプリカユニフォームを身にまとった多くのファンが、憧れのスター選手たちの一挙手一投足に釘づけとなった。

 このマンチェスター・Cをはじめ、アーセナル、マンチェスター・ユナイテッド、リバプール、トッテナム・ホットスパー、チェルシーなど、実力、人気とも世界屈指のクラブを擁するのがプレミアリーグ。この世界最高峰といわれるリーグは、今から31年前の1992年8月15日にスタートした。日本でJリーグが開幕する前年である。

 開幕日には、前シーズンのチャンピオンであるリーズ・ユナイテッドが、ホームでウインブルドンに2-1と白星発進。アーセナルはノーリッジ・シティを相手にホームで2点を先行しながら、逆転を許して2-4で敗れた。マンチェスター・ユナイテッドもアウェーでシェフィールド・ユナイテッドに1-2の敗戦。翌16日にはリバプールがノッティンガム・フォレストに0-1の苦杯を喫し、さらに17日にはマンチェスター・CがQPRと1-1で引き分けた。

 やや波乱の幕開けとなったプレミアリーグだが、その初代チャンピオンとして名を残したのはアレックス・ファーガソン監督率いるマンチェスター・Uだ。最後は7連勝でアストン・ビラに勝点10差をつけてフィニッシュ。マーク・ヒューズがチーム最多の15得点を挙げて攻撃を引っ張り、11月にリーズから加わったフランス代表のエリック・カントナがチームに勢いをつけた。
 
 もちろん、サッカーの母国のこと、プレミアリーグに先立ち、1888年創設のフットボールリーグ(FL)という長い伝統があった。しかし1980年代に入ると、フーリガンと呼ばれる暴徒化したサポーターの問題が深刻となり、施設の老朽化が火災につながるなど、スタジアムは"危険な場所"となっていた。1985年の欧州チャンピオンズカップ(現、チャンピオンズリーグ)決勝では、リバプールのサポーターがユベントス(イタリア)側に襲い掛かって39人が亡くなる「ヘイゼルの悲劇」が起こり、欧州カップ戦への道も閉ざされる。

 そうした状況下、自らの力に見合った増収を図りたい有力クラブは、リーグ脱退をにおわせながら発言力を増し、テレビ放映権料の配分増額に成功する。1990年には有力クラブの首脳が会合し、FLから独立した新リーグ結成が現実味を帯びていく。イングランドサッカー協会(FA)も、これを支持する姿勢を示した。

 1991年8月16日には、FL1部の22クラブが脱退を表明し、来るべき新リーグに備えた。翌9月には、FLもFAやプレミアリーグのクラブから一定の金銭を得ることで合意し、FAとの論争にも終止符が打たれた。プロ選手協会も、新リーグに選手たちの意向を反映させようとストの構えを見せたが、プレミアリーグからテレビ放映権料の一部を手にすることになり、その危険は回避された。

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