ミシャのもとで刺激的な2年間。関口訓充が影響を受けた指揮官たち「誠さんには本当に可愛がってもらった」

2023年07月26日 元川悦子

アタッカーとしての自分が磨かれる感覚

現在は札幌を指揮するミシャ。浦和時代に師事した関口は「細かいタイミングや立ち位置をすごく大事にする監督」と語る。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 関口訓充(南葛SC)と言えば、帝京高から2004年にベガルタ仙台入りし、プロキャリアをスタートさせた選手。仙台で計13年、浦和レッズで2年、セレッソ大阪で3年、南葛で1年半を過ごし、日本代表も経験するなかで、多種多様な指導者と出会ってきた。

「一番衝撃を受けた監督は?」という問いに、関口は「やはりミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ=現・札幌監督)ですね」と回答した。

 浦和での2年間は長いサッカー人生の中で短い時間。浦和時代の2013年は20試合、2014年は7試合とJ1出場試合数も少なかった。にもかかわらず、その名前を挙げたのには、それなりの理由があるという。

「ミシャはボールをもらうタイミングとかが普通じゃなかった。良い準備をして、良いポジションを取るとかだけじゃなくて、阿吽の呼吸で蹴る直前にこっちに動けとか、細かいタイミングや立ち位置をすごく大事にする監督だったので、すごく新鮮でしたね。動き出しやタイミングとかが良くなれば、絶対にプレーの質も上がってくると思います。

 一例を挙げるとすれば、3対3の練習。1トップと2シャドーを決めて、1・2・3と番号を割り振り、その順番通りにダイレクトでボールを触ってからゲームをするといったメニューがあったんですけど、メッチャ難しかった。1・2・3とダイレクトにパスするのは簡単そうに見えて、かなり難易度が高い。正確なポジション取り、良い距離感が求められるし、技術も必要。でも、それが上手くいけば、実際の試合でも崩せますよね。

 当時のレッズは、1トップ・2シャドーに(興梠)慎三や(柏木)陽介、原口(元気)なんかがいて、きれいで効果的な崩しがたくさんあった。それも日頃の練習から作られた連係の賜物だったのかなと思います」
 
 関口はスーパーサブ的な位置づけではあったが、名将と日本代表クラスの面々と日々、ボールを蹴ることで、アタッカーとしての自分が磨かれていく感覚を持てたという。

 新たな戦術やサッカー観に触れ、刺激的な2年間を過ごせたからこそ、選手寿命が伸びたという実感もある。それだけ浦和時代は大きなターニングポイントになったのである。

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