「外に出て日本の良さに気付く」元アーセナル宮市亮が振り返る、苦難・苦難・苦難の海外生活。清水ミチコに“騙された”フランス語事件も

2023年07月07日 有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)

「今思えば、よく飛び込んだなって。もう何も考えず飛び込みました」

1人暮らし自体が初めてだった宮市。海外生活の難しさを語った。写真:梅月智史(サッカーダイジェスト写真部)

 宮市亮は中京大中京高時代、高校サッカー選手権で2年連続の優秀選手に選ばれるなど、若くして才能を発揮。高校卒業前にアーセナル(イングランド)と契約を締結した。

 その後、度重なるレンタル移籍もあり、フェイエノールト(オランダ)、ボルトン、ウィガン(ともにイングランド)、トゥベンテ(オランダ)、ザンクトパウリ(ドイツ)でもプレー。2021年夏に横浜F・マリノスに加入し、28歳にしてJリーグデビューした。

 ずば抜けて国際色の強いキャリアだ。そもそも世界を意識し始めたのはいつからで、海外サッカーには興味があったのだろうか。イングランドの超名門でプロキャリアをスタートさせた宮市に当時を振り返ってもらった。

【PHOTO】キラリと光る笑顔が眩しい!鮮烈カムバック弾直後に敢行した宮市亮インタビュー

――◆――◆――

 中学校2年生の時にフェイエノールトの練習に参加したのが、初めて海外を意識した瞬間です。それ以来、海外サッカーは結構見てますね。その頃のフェイエノールトといえば、(ディルク・)カイトや、(ピエール・)ファン・ホーイドンクとかがいて。

 今思えば、よく飛び込んだなって。もう何も考えず飛び込みましたけど。高校までずっと実家暮らしで、いきなり1人暮らしした先が日本でもなくて、イギリスやオランダ。今、振り返るとやっぱり大変でしたね。ホームシックはなかったですけど。サッカーをしに行って、サッカーで楽しかった思い出もたくさんありますし。

 やっぱり普段の生活の部分。1人で買い物に行くとか、掃除するとか、洗濯するとか、日常的にそれをやりながらサッカーをするっていう、そこはすごく難しいところでしたね。
 
 アーセナルの時は本当に焦りというか、もっと上手くならないといけないと思っていました。練習が終わって家に帰ってきたら、ボールを持ってすぐ公園に行くみたいな生活をしてましたね。

 料理もしてましたよ。頑張ってましたけど、やっぱり難しいですよね。1人暮らしをしながらサッカー選手をするってすごく難しいところはありました。

 食事はドイツが一番美味しかったですね。どのレストランに入っても全体的に味付けが上手というか。

 困ったことは特にないですけど…海外に出ることで、日本の素晴らしさというか、時間にきっちりしてるところだったり、街が綺麗だったり、ご飯が美味しかったり。外に出て日本の良さに気付くというか、それはありました。

 電車が頻繁に遅れるのも、そういうもんだと。僕も数年間住んでたので、もうそういうマインドで。電車は遅れるもんでしょって。

――◆――◆――

次ページ「『あ、俺、喋れてるな』っていうのが、1年半ぐらいだった」

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事