【韓国メディアの視点】ホン・ミョンボ監督が、ついに再始動。後押ししたのは、元日本代表監督の岡田武史氏

2016年01月05日 慎武宏

Jリーグの柏と新潟も候補に挙がっていたが、中国の杭州緑城を選んだ。

14年のブラジル・ワールドカップ後、アメリカで"充電"していたホン・ミョンボ監督。杭州緑城とは2016年1月からの2年契約を結んだ。 (C)Getty Images

 韓国サッカー界の"永遠のキャプテン"と呼ばれてきたホン・ミョンボがついに再始動する。

 韓国代表監督として挑んだ2014年のブラジル・ワールドカップでグループリーグ敗退を喫し、世論から非難の嵐を浴びてその座を退いてから1年半あまり。アメリカで家族とともに過ごしなから充電期間を過ごしてきたホン・ミョンボ監督が、"再起"の舞台として選んだのは中国の杭州緑城だ。
 
 Jリーグ行きも噂されたが、最終的に選んだのは中国スーパーリーグだった。ホン・ミョンボ監督と会食したという一般紙『中央日報』のサッカー班ソン・ジフン記者はこう語る。
 
「ブラジル・ワールドカップ以降、ホン監督には韓国のKリーグのみならず、Jリーグや中国からも複数のオファーがあったようです。ただ、充電期間を置きたかった。振り返れば、09年1月にU-20韓国代表で監督デビューして以来、10年アジア大会、12年ロンドン五輪、14年ブラジル・ワールドカップと常に監督業に追われ、家族とともに過ごすこともままならなかった。昨年8月にロサンゼルスで会った時も、『現役時代を含めて初めて家族としっかり向き合えている』と語っていたほどです」
 
 実は筆者も昨年9月頃からホン・ミョンボ監督から久しぶりに何度が連絡を受けた。互いの近況報告や最近の日本サッカーの状況など他愛もない話に終始したが、ホン・ミョンボ監督が現場復帰に向けて気持ちを切り替えようとしていたことは、その声からなんとなく察することができた。
 
 先のソン・ジフン記者によると、昨年秋から本格的な検討段階に入ったという。報道された通り、非公式ながら候補に上がったのはJリーグでは柏と新潟。中国では北京国安、貴州人和、そして杭州緑城だったという。
 
「選手時代を過ごし、勝手もわかっているJリーグに気持ちが傾いた時期もあったようです。ただ、日本での知名度や経験からしてJリーグでは即座に結果が求められる。プロクラブでの指導経験がないホン監督としては、それが負担にならないかと言うと嘘になるし、北京国安や貴州人和も即座に結果を出さなきゃいけないという点では同じだったのでしょう。対して杭州緑城は当面の結果よりも、しっかりと選手を育成し、未来的志向的なチームを作ってほしいという提案もあった。そうしたビジョンがホン監督の気持ちを動かしたようです」

次ページ韓中日3か国のエッセンスを活かしたハイブリッドなチームに。

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