“西野ジャパン”はなぜ続投しなかった? 17年秋にロシア後の体制は決定済み「ポイチも覚悟を持って決断してくれた」

2023年06月29日 サッカーダイジェストWeb編集部

「日本化した日本人らしい、オールジャパン」

17年の秋、西野氏(右)は技術委員長の立場で、森保監督(左)にロシア後のA代表監督を打診していた。(C)Getty Images

 2018年のロシア・ワールドカップで、日本代表はベスト16に進出。チームを率いたのは、開幕2か月前にヴァイッド・ハリルホジッチ監督の解任を受け、技術委員長から指揮官に就任した西野朗。稀代の名将が、元日本代表FWの城彰二氏のYouTubeチャンネルに出演し、当時を振り返った。

 難しい状況で大役を担い、世界の舞台で日本を躍進させた。その手腕を考えれば、ロシア大会後の続投も十分に考えられたはず。城氏が西野氏に問う。「そのまま代表監督をずっと続けるつもりは、まったくなかったんですか?」。

 西野氏に、その選択肢はなかったようだ。すべては1年前に決まっていたからだ。

「17年の秋に、東京オリンピックの監督を決定する時に、(自分は)技術委員長で、その時に、森保(一)にお願いしました。で、あわせて、今、ハリルさんが(日本代表監督を)やっているけど、18年のロシアが終わったあと、一緒に(A代表の監督を)やれないかってことを、ロシアの前の年の秋に、打診しているんだよね」

 日本サッカーの未来を見据え、西野氏には考えがあった。

「これからもう、日本化した日本人らしい、オールジャパンでやってほしいなか、ポイチ(森保監督の愛称)にA代表とオリンピックを合わせて、考えてもらえないかってことを、技術委員長としてお願いしていた」
 
 結果的に、ロシア大会は自らが率いることになった西野氏は、森保監督をアシスタントコーチに招聘。それはもちろん、次のカタールW杯をにらんだ入閣だった。

 それだけに、ロシア大会でいかなる結果であろうとも、「規定路線」に沿って、西野ジャパンは終了し、森保ジャパンが誕生した。

 周知のとおり、カタールW杯で森保ジャパンは、日本史上初の2大会連続ベスト16進出を果たした。西野氏は「バトンタッチをできたかなと思うロシアだった」と語り、「ポイチも覚悟を持って決断してくれた」と感謝する。

 現在は第二次森保ジャパンが26年の北中米大会を目ざしているなか、西野氏は「協会を離れるけど、今もあいつのバックアップは強くさせてもらっている」とのことだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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