連載|熊崎敬【蹴球日本を考える】リーベルに善戦するも広島に突きつけられた“残り20分”の教訓

2015年12月17日 熊崎敬

個人の力の差を戦術によって巧みに埋めて互角に近い戦いはできた。

広島は青山を中心に堅守からのカウンターで幾度もチャンスを作り出した。しかし相手にリードを許した終盤は、ほとんどゴールへの道筋を見出せなかった。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 南米王者リーベルが苦戦の末に広島を下し、決勝進出を決めた。
 
 戦前、私は個々の技量と駆け引きで勝るリーベルが、地力の違いを見せて快勝するものだと考えていた。
 
 だが、予想は大きく裏切られた。
 序盤の広島は強烈な圧力にさらされたことで、自陣でミスが続出したが、次第に慣れてくるとカウンターから好機を創った。反対に、GK林が守るゴールが脅かされる場面は少なかった。
 
 広島が互角に近い戦いができたのは、個人の力量の差をチーム戦術によって巧みに埋めたからだ。
 彼らは5-4-1という守備的な布陣でリーベルを迎え撃ち、格上の敵が攻め込まざるをえない状況を創り出して、効果的にカウンターを見舞った。
 
 前半は広大なスペースができた敵の背後にロングボールを蹴り込んで、ワントップの皆川を走らせる。
 リーベルが両SBをより押し出してきた後半は、その背後のスペースを柏や清水、ミキッチが果敢に突き、敵を慌てさせた。GK林がキャッチした瞬間、両ウイングバックが全力でタッチライン際のスペースへ飛び出す場面が何度もあったが、これは狙っていた形だろう。
 
 局地戦ではリーベルにボールがこぼれたり、ファウルを取られる場面が多かった。だが広島は選手の距離間を密に保ち、ひとりが抜かれても次の選手が素早く潰しにかかったことで、守備の組織が崩される場面は少なかった。
 
 セットプレーから失点し、惜しくも敗れた広島。だが彼らの現実的な試合運びは、日本のチームにとって参考になるものだったといっていい。
 
 広島の善戦は、個々の力の差を戦術によって埋められることを物語る。だが先制されて攻めざるをえなくなった残り20分、リーベルの堅い守りの前に手も足も出なかった。これは忘れてはならない教訓だろう。敵が攻めてきたらカウンターで切り返すことはできるが、敵が出てこなくなるとなにもできなくなってしまうのだ。
 
 リーベルの面々は広島に守りを固められても、一人ひとりが局地戦での強さや巧妙なタッチや身のこなしで目の前の敵を揺さぶることができる。だが広島はそれができないから、お手上げに近い状態になってしまう。
 
 これは少し厳しい言い方をすれば、1対1に強い個人が組織を編むチームと、1対1に弱いチームが組織を編むチームの差だろう。日本サッカー界が取り組まなければならない、最大の課題といってもいいと私は思う。
 
 最後にひとつ。1万2000人はいたというリーベル信者の応援ぶりは、参りましたと言いたくなるほど素晴らしかった。
 
 彼らが大挙して日本に押しかけたのは、愛するチームにホームさながらの雰囲気の中で実力を出し切ってほしいからだ。
 紅白に染まった長居を、あの独特のリズムの歌声と太鼓の音が包み込む。この夏、私はコパ・リベルタドーレス準決勝のグアラニ戦をモヌメンタルで観戦したが、この夜の長居の熱気はあのときのゲームを思い起こさせるに十分だった。
 
取材・文:熊崎 敬(スポーツライター)
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