レフェリーも育てる時代へ。「場数や経験数も大事」サッカーの母国イングランドとの違いは?【審判員インタビュー|第4回・佐藤隆治】

2023年02月23日 サッカーダイジェストWeb編集部

印象に残った韓国代表対イラク代表戦。『国際審判員として、こういった環境で笛を吹いていくんだ』

J1では276試合で主審を務め、昨季限りで勇退した佐藤元審判員。(C)J.LEAGUE

「審判員」。サッカーの試合で不可欠ながらも、役割や実情はあまり知られていない。例えば、「審判員」と法を裁く「裁判官」を同等に語るなど、本質の違いを見かけることもあれば、「審判員にはペナルティがない」という誤った認識を持っている人も少なくはない。

 罰するために競技規則を適用しているわけではなく、良い試合を作るために競技規則を適用していく。それが審判員だ。

 そんな審判員のインタビューを、『サッカーダイジェストWeb』と『週刊レフェリー批評』(株式会社ダブルインフィニティ)が前編と後編に分け、隔月で連載していく。

 第4回は昨年Jリーグ担当審判員を勇退し、現在は日本サッカー協会(JFA)審判マネジャーである佐藤隆治氏に国際審判員についてインタビューを行なった。

取材・文●石井紘人@targma_fbrj

――◆――◆――

――サッカーを始めたきっかけを教えてください。

「私が通っていた名古屋の小学校は、一学年に2クラスしかない小さな学校でした。人数が少ないこともあり、男子は春から夏は野球、夏休み期間は水泳、秋に陸上大会があって、その後の冬から春はサッカーとひとつに絞らずにスポーツをしていました。

 小学校5年生からは本格的にサッカーを始めましたが、野球のほうが好きだったんですよね。母親が言うには、低学年の時はサッカーボールが怖くて逃げ回っていたらしいです(笑)。全然覚えていないんですけど、『ボールが怖い』って言っていたらしくて」

――(笑)にもかかわらず、サッカーにハマったのは?

「ピッチャーをやっていた時に肩を壊して、しばらくボールを投げられなかったのがひとつ。もうひとつは中学校に入って、部活を絞らないといけなくて、野球部に入部すると坊主にしないといけない。坊主が嫌だから、野球ではなくて、サッカーを選んだ感じです(笑)」

――サッカー部ではどのポジションでしたか?

「身体は大きかったですし、足も速かったのでFWでした。中学時代は市大会で負けて、県大会に進めませんでした。高校時代は県大会に進んだのですが、一回戦で敗退。尾張地区の選抜に入ったこともありましたけど、並の選手でした」

――進学した筑波大学サッカー部は凄い選手層ですよね。同期にJリーガーもいると思います。

「はい。5軍までありました。私はトップチームには上がれず、Bチーム止まり。同期は、現在は川崎フロンターレのコーチの戸田光洋(元FC東京など)、徳島ヴォルティス強化部の谷池洋平(元徳島など)、福島ユナイテッドFCスタッフの井上敦史(元鳥取など)、北陸大学監督の西川周吾(元水戸など)です。

 彼らを見て、FWではなくて、ポジションを変えようと思いました。私、右利きですけど、左足が器用なほうだったんですよね。筑波大学が、左サイドバックが手薄だったので、左サイドバックにコンバートしたのですが、それでもトップチームには上がれませんでした。

 さらに、左サイドバックに一学年下に東京ヴェルディユースから羽山拓巳(元東京Vなど)が入部してきて、勝てないのを悟りますよね。その翌年には羽生直剛(元千葉など/元日本代表)も入ってくると、どんどん敵わなくなってくる。それでも、そんな環境で切磋琢磨できたのは楽しかったですし、今考えても良い進路だったと思います」
 
――その後、私が以前聞いたお話では、教員になって、チームの指導をするなら審判員の資格を取らないといけないため、審判資格を取得。そして、日韓ワールドカップでレフェリーを務めた上川徹(現・JFA審判マネージャー)さんの講演を聞いて、審判員への道を意識された。同時に、サッカーダイジェスト誌の「レフェリーカレッジ生徒募集」の記事を見て、Jリーグの審判員を目ざすことになったと仰られていました。

「そうですね。確かゴールデンウィーク明けくらいに記事を見て、『そんなのあるんだ』と興味を持ちました」

――レフェリーカレッジに入り、2004年に一級審判員になります。以前、お話をお伺いした時に、「JFLやJ2よりも、トップの選手が怪我明けでいたり、次の契約のシビアさのあるサテライトが難しかった」と仰られていて、さらにJ1では「注目度もあり、ひとつの判定の怖さがある」と。そして、国際審判員となり、2009年にはU-20のカタール国際大会の割り当てを受けます。国際審判員の活動はいかがでしたか?

「2009年にプロフェッショナルレフェリー(PR=JFAと契約するプロの審判員)になり、その年の1月に行なわれたカタール国際大会に参加しました。

 ただ、その大会の試合よりも印象に残っているのは、同年の3月に韓国で行なわれた国際親善試合の韓国代表対イラク代表戦です。韓国代表は、南アフリカ・ワールドカップのアジア最終予選直前の試合で、バリバリのフル代表でした。選手はもちろん、スタッフの表情も、満員のサポーターが作り出すスタジアムの雰囲気も、今まで経験したことがなかった。

 今思えば、もっと盛り上がるような試合や痺れる状況の試合はあります。ただ、初めての満員のスタジアムでの国歌が流れた時の緊張度、『国際審判員として、こういった環境で笛を吹いていくんだ』という気持ちをすごく覚えています」
 

次ページ忘れられない準決勝の割り当て。「親善試合と、アジア最終予選やアジアカップは選手の目の色も違う」

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事