【コラム】大雪のトヨタカップに感動してスポンサー契約を更新。日本サッカーの発展にも尽力した豊田章一郎氏を偲んで

2023年02月17日 石川聡

名古屋グランパスの初代社長を務める

グランパス初代社長も歴任した豊田章一郎氏が逝去。享年97。(C)REUTERS/AFLO

 トヨタ自動車株式会社名誉会長の豊田章一郎氏が2月14日に亡くなった。97歳だった。

 同社の創業家出身の豊田氏は1982年に社長就任。同社を「世界のトヨタ」と称されるまでに成長させた。1992年の会長就任後は経団連の会長なども務め、1999年にトヨタの名誉会長となってからも、同社の発展に尽力した。

 この豊田氏は、サッカー界でも大きな役割を果たした。

 トヨタといえばJリーグの名古屋グランパスの最大株主。Jリーグ参入を見据えて1991年7月に株式会社名古屋グランパスエイトが設立された際には、初代社長の座に就いた。訃報に接した現名古屋社長の小西工己氏はクラブの公式サイトに「名古屋グランパスの社長をご退任された後も、お忙しい合間を縫ってはスタジアムにお運びいただき、優しいまなざしでクラブを見守ってくださいました」と豊田氏の思い出を語っている。

 今季のホーム開幕戦となる第2節の京都サンガ戦(2月25日、豊田スタジアム)のキックオフ前には、その逝去を悼んで黙とうを行ない、選手たちは喪章を着用してプレーする予定だ。

 もうひとつ忘れてならないのは、トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ(トヨタカップ)との関わりだろう。トヨタカップは1981~2004年に日本が舞台となり、欧州と南米のクラブ王者が一騎打ちでクラブ世界一の座を争った。それまでラフプレーの横行や日程調整の関係で何かと物議を醸していたインターコンチネンタルカップを引き継ぐ形で日本開催となり、現在のFIFAクラブワールドカップの前身ともなった大会だ。

 豊田氏はトヨタ社長時代、旧国立競技場で開催されたトヨタカップを観戦。親類の豊田英二会長(当時)と共に、目にも鮮やかな赤のジャケット姿で優勝チームやMVPを表彰するのが恒例だった。そして、豊田氏がサッカーの持つ力、魅力を確信したのが、FCポルト(ポルト)とペニャロール(ウルグアイ)が対決した1987年12月13日の第8回大会だといわれる。ポルトが延長戦の末にペニャロールを2-1で振り切り、栄冠を勝ち取った一戦だ。
 
 この日は朝方の雨が次第に雪に変わり、試合開始時点でピッチは一面の銀世界。雪は降り続け、ぬかるみの中での激闘となった。観戦する側にも過酷なコンディションだったが、約4万5000の観衆は席を立つことなく最後まで勝敗の行方を見届けた。

 当時の大会関係者から聞いた話では、ロイヤルボックスで試合を見守った豊田氏は、この光景に豊田会長と手を取り合って感激し、その後のスポンサード契約更新につながったという。その印象はよほど強烈だったのだろう。翌第9回大会の公式プログラムでは「昨年の雪中での白熱した試合は印象深く、多くの人々に大きな感動を与えたものと考えております」とメッセージに綴った。

 まだ、Jリーグが始まる以前、世界最高峰のサッカーを間近に体感できるトヨタカップは、サッカーファン垂涎のイベントとして定着した。国際サッカー連盟(FIFA)の公式大会ということもあり、毎回のようにサッカー界の要人が来日。日本のビッグイベント開催能力のアピールにもつながり、2002年のFIFAワールドカップ招致にも少なからぬ影響を及ぼした。

 豊田章一郎氏のご冥福をお祈り申し上げます。

文●石川 聡

【画像】伝説の激闘となった大雪のトヨタカップ

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