「いつかはガンバの監督をやってみたい?」現役引退を表明した橋本英郎はその直球質問にどう答えた?

2023年01月19日 サッカーダイジェストWeb編集部

「目ざすのは日本一の指導者です」

着用した歴代ユニホームの前に立つ橋本。今後はJリーグでの監督を目ざして新たな道を歩む。写真提供:ベンヌ

 1月19日、元日本代表MFの橋本英郎がパナソニックスタジアム吹田での記者会見に臨み、現役を引退し、今後は指導者の道に進むと発表した。

 1998年にガンバ大阪ユースからトップに昇格し、練習生からスタートしたキャリア。その後はヴィッセル神戸、セレッソ大阪、長野パルセイロ、東京ヴェルディ、FC今治、おこしやす京都ACと、25年間でJ1から地域リーグまであらゆるカテゴリーの7クラブを渡り歩いた。

 会見ではサプライズで稲本潤一、播戸竜二、加地亮、遠藤保仁とかつてG大阪で共闘した豪華な同世代メンバーからもビデオメッセージが届き、橋本は笑みを浮かべながら感慨深げに聞き入った。

 今後はDAZNなどでテレビ解説に従事しながら、指導者S級ライセンスの取得を目ざしつつ、プロの指導者へと転身する。神奈川県リーグ1部の鎌倉インターナショナルFCでアドバイザーを務めることも発表し、「J1、J2、J3のチームを優勝させられる監督になりたい。目ざすのは日本一の指導者です」と意気込みを語った。

 そこで報道陣から飛び出したのが、「いずれはガンバで監督をやってみたい想いはありますか?」の問いかけだ。橋本は次のように答えている。

「もちろん、ありますね。ただガンバだけじゃなくて、自分が所属したクラブはすべて優勝させたい。J2やJ3なら昇格に優勝。どのカテゴリーでも結果を出せる監督っていないと思うので、そこを目ざしたい」

 そのうえで、理想像も口にした。

「自分がどんな指導者になっていくのかは、これから考えていきたい。ひとつ言えるのは、クラブの理念や求めるスタイルがあると思うんです。そこに僕がフィットして表現したい。ポゼッションであってもカウンターであっても、そのクラブが志向する、目ざすべきサッカーに合わせて提案できるような監督になりたい。そうしたところでも、現役のときにいろんなクラブでやった経験を活かせるんじゃないかと思います」

 新たなチャプターに足を踏み入れる43歳。"監督・橋本英郎"がどんな指導者になるのか、実に先行きが楽しみである。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部
 
PROFILE
はしもと・ひでお/1979年5月21日生まれ、大阪府大阪市出身。ガンバ大阪の下部組織で才能を育まれ、1998年にトップ昇格。練習生からプロ契約を勝ち取り、やがて不動のボランチとして君臨、J1初制覇やアジア制覇など西野朗体制下の黄金期を支えた。府内屈指の進学校・天王寺高校から大阪市立大学に一般入試で合格し、卒業した秀才。G大阪を2011年に退団したのちは、ヴィッセル神戸、セレッソ大阪、AC長野パルセイロ、東京ヴェルディでプレー。2019年からJFLのFC今治に籍を置き、入団1年目で見事チームをJ3昇格に導く立役者のひとりとなった。2021年5月2日の第7節のテゲバジャーロ宮崎戦で、J3最年長得点(41歳と11か月11日)を記録。2022年は関西1部リーグ「おこしやす京都AC」に籍を置いた。日本代表はイビチャ・オシム政権下で重宝され、国際Aマッチ・15試合に出場。現役フットボーラーとして奮闘する傍ら、サッカースクールの主宰やヨガチャリティー開催など幅広く活動中だ。Jリーグ通算497試合出場・22得点(うちJ1は339試合出場・19得点)。173センチ・68キロ。血液型O型。

【動画】2005年12月3日、ガンバ大阪が初のJ1制覇を決めた"伝説の等々力"をプレイバック!

【動画】橋本英郎が語る「日本代表の未来」! 4年後のW杯で注目すべきタレントは?
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