日本代表 26の肖像/長友佑都|“魔力”に魅せられ、4度目の大舞台に挑戦「心の中はスーパーサイヤ人です」【W杯】

2022年11月23日 河治良幸

ジーコも絶賛「180分でも走り続ける」

ドイツ戦を前に髪の毛を真っ赤に染めた長友。大一番に向け、気合十分だ。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部/JMPA代表撮影)

 ついに幕を開けたカタール・ワールドカップ。森保一監督が率いる日本代表は、いかなる戦いを見せるか。11月23日、初戦の相手はドイツ。ベスト8以上を目ざすサムライブルー、26の肖像。今回はDF長友佑都(FC東京)だ。

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 出れば出るほど、W杯の魔力に取り憑かれる――4度目の大舞台を迎える長友佑都は、日本代表でチャレンジを続ける理由を聞かれた時に、そう答えた。

 明治大では2年生まで、スタンドで太鼓を叩いていた。その当時、インターネットの書き込みに「やたらリズミカルな太鼓を叩く控え部員がいる」と話題になっていた。まさか、その人物が後に日本代表で4度もW杯の舞台に立つサイドバックだというのは、現場でその音を聞いていた大学サッカーファンも、知るよしもなかっただろう。

 もともと実力がなかった訳ではない。東福岡高ではボランチや攻撃的なMFも担っていたが、ヘルニアを患っていたのだ。大学で神川明彦監督に右サイドバックの適性を見出されたことが、長友の転機となったことは間違いない。

 それに加えて、この時期の苦労はストイックな姿勢を育むことになった。今でこそ"体幹塾長"の異名を取るが、強靭な肉体は怪我に向き合った時期が大きく影響しているはずだ。
 
 W杯の合宿前に、日本代表をサポートする西芳照シェフの囲み取材があったが、その際に食事の栄養などについて、最も熱心に聞いてくるのが長友だと明かしてくれた。

 困難を克服し、大学で一気に花開いた長友は、2007年3月に行なわれたFC東京との練習試合で、当時の原博実監督などの目を引く。まずは特別指定選手として練習参加し、実力が認められると、卒業を待たずしてプロ入りを決断した。

 長友の名前を一躍広めたのが、初めてA代表に招集された2008年5月のコートジボワール戦だった。北京五輪の候補でもあった長友は、世界的なサイドアタッカーとして知られたエマヌエル・エブエを徹底マークで完封して見せたのだ。

 その当時、まだ左右のサイドバックをあまり偏りなく担っていたが、次第に右利きの左サイドバックとして定着していく。1対1の守備能力に加えて、縦の推進力、元日本代表監督のジーコをして「長友は180分でも走り続ける」と言わしめた運動量で、絶対的な左サイドバックとして地位を確立した。

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