【消えた逸材】「新時代のプラティニ」はなぜリバプールで成功できなかったのか。37歳で引退、現在は…

2022年12月31日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

01年U-17世界選手権で優勝&シルバーボールに輝く

リバプール時代、04-05シーズンのCL優勝には少なからず貢献したが…。(C)Getty Images

アントニー・ル・タレク(FW/元フランスU-21代表)
■生年月日/1984年10月3日
■身長・体重/185センチ・73キロ
 
 2001年のU-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)を制したフランスには2人の至宝がいた。得点王と大会MVPの「ゴールデンボール」に輝いたフロラン・シナマ=ポンゴル、そして準MVPの「シルバーボール」に輝いたアントニー・ル・タレクだ。
 
 準々決勝のブラジル戦、準決勝のアルゼンチン戦、決勝のナイジェリア戦と3試合連続ゴールを挙げた痩身のアタッカーは、「新時代のミシェル・プラティニ」という、フランスでは最上級の称賛を集める超逸材だった。
 
 繊細なタッチでボールを自在に操り、左右両足から決定的なスルーパスを送り、強烈なシュートを打ち込み、ヘッドでもゴールを奪う。なにより卓越していたのが、ビジョンとクリエイティビティー。ピッチの状況を瞬時に把握し、相手のもっとも嫌がる急所にパスを通した。
 
 その真骨頂が凝縮したようなアシストがある。リバプール時代のユベントス戦だ。

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 04-05シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)、準々決勝の第1レグ。1-0で迎えた25分、右サイドのライン側で大きくバウンドしたボールを正確に捕らえ、中央でフリーになっていたルイス・ガルシアへ。ここぞの場所に、ここぞのタイミングでパスを受けたL・ガルシアはそのまま左足を振り抜き、強烈なミドルを突き刺さした。試合の趨勢を決めるこの追加点は、あの「イスタンブールの奇跡」へとつながる重要なゴールのひとつだ。それをお膳立てした。
 
 得意のヘッドで起死回生のゴールを決めたのは、07年のフランス・カップ決勝だ。このシーズンはリバプールからのレンタルでソショーに在籍していた。1-2で迎えた延長後半116分の同点弾でチームの窮地を救い、PK戦での戴冠をもたらした。この優勝はCL制覇と並ぶ宝物だと言う。もっとも、CL決勝はベンチ外で勝利の瞬間をピッチで迎えることはできなかった。

 U-17代表で世界の頂点に立った「次代のプラティニ」には、それこそヨーロッパ中のビッグクラブからオファーが届いた。とくに熱心だったのが、ミラン、バルセロナ、マンチェスター・ユナイテッド、アーセナル、そしてリバプールで、最終的にリバプールを選んだのは、同胞の名伯楽ジェラール・ウリエの存在と、なにより金銭面で条件がよかったからだと言う。
 

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