「前人未到のキャリア」を築いた鄭大世は日本サッカー界に何を残したのか。「道は作ったと自負している」

2022年11月07日 郡司 聡

「砂埃の舞うグラウンドで泥だらけになりながらプレーしてきました」

引退記者会見に臨んだ鄭大世。最後に熱い言葉を残した。写真:田中研治

 "究極のエゴイスト"がスパイクを脱いだ。

 11月6日、午前は記者会見に、午後は現役引退セレモニーに臨んだ鄭大世は、プロサッカー選手として最後となる公の場を去るにあたって、こんな言葉を残していった。

「僕は大学時代に東京都3部リーグでもプレーしていた選手。砂埃の舞うグラウンドで泥だらけになりながらプレーしてきましたし、プロになるまで、天然芝はおろか人工芝ですら、芝生の上でサッカーをしたことはありませんでした。

 そんな僕が憧れのJリーグや海外リーグでプレーし、ワールドカップの舞台にも立てました。最高に痛快で、してやったり感のある最高のサッカー人生でした。

 こうして惜しまれる声を聞きながら、サポーターのみなさんに挨拶ができるのは本当に幸せものです。心から感謝の気持ちを伝えてスタジアムを去り、ユニフォームを脱ぎ、スパイクも脱ぎます。本当にありがとうございました」
 
 川崎時代から"人間ブルドーザー"の異名を持つ鄭大世は、日本で、ドイツで、韓国で幾多のゴールを決めてきた。公式戦におけるその数は148。「自分のためにゴールを決めてきたし、わがままで自己中心的にやってきた」と豪語する生粋のエゴイストは、果たして日本サッカー界に何を残したのだろうか。
 
 17年のプロキャリア。38歳でスパイクを脱ぐ鄭大世は、知らず知らずのうちにその背中が、後輩たちに多大なる影響を与えてきた。近年、最も影響を受けた若手選手と言えるひとりが、清水在籍の加藤拓己。まだ早稲田大の学生だった加藤が清水に練習参加した時から親交があり、引退を報告した際、折り返しの連絡では一、二を争う長文メッセージが来たという。

「僕にもかつて元オランダ代表FW(パトリック・)クライファートのヘディングゴールに憧れた時期があったように、拓巳も僕が3人をなぎ倒して決めたG大阪戦でのゴールを見てから僕のファンになってくれたようです。それからはあのような選手になりたいと思いながら、ずっと練習してきたと聞きました。

 サッカーでは超がつくほどのエゴイストであり、自己中でやってきたサッカー人生のなかで、上から下に水が流れるように、他の選手のサッカー人生に影響を与えられたことに喜びを感じています」

 先日、等々力での川崎対神戸に出掛けた際、直接コミュニケーションを取った神戸の菊池流帆には、引退を撤回するように必死に説得されるなど、鄭大世の背中を見てきた年下の選手たちは、確実にいる。それが後進の育成につながるか。その答えは一朝一夕では出ないが、鄭大世の意思は、きっと受け継がれていくに違いない。

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