「ブラジルに勝っても、それほど…」“マイアミの奇跡”に西野朗は複雑な想いも「勝ったとはいえ違うものがあった」

2022年09月25日 サッカーダイジェストWeb編集部

初の監督業がいきなり代表チーム

鈴木氏のYoutubeチャンネルに西野氏が出演。96年アトランタ五輪の“マイアミの奇跡”を振り返った。(C)Getty Images

 元日本代表MFの鈴木啓太氏が9月24日、自身のYouTubeチャンネルに最新コンテンツを投稿。元日本代表監督の西野朗氏がゲスト出演し、U-20日本代表監督就任から、1996年のアトランタ五輪までを振り返った。

 現役引退後、日立製作所でコーチを務めていた西野氏は、川淵三郎氏に誘われて38歳でU-20日本代表監督に就任した。

「クラブでもないし、教員でもないし。代表が自分の監督のスタートというのは、世界でも多分、少ないと思う。俺と岡田武史くらい。頭でっかちにならざるを得ない」

 異例の"代表監督"就任に、自らドイツやイギリスなどに渡り「ワラをもすがる思いで知識を入れた」。

 94年にはU-23日本代表監督に就任し、アトランタ五輪への挑戦が始まった。当時、五輪には、銅メダルを獲得した68年のメキシコ大会以降出場できていなかったため、予選に臨む際のプレッシャーはなく「選手たちを世界に行かせてあげたいというだけ」だった。

 そして、西野監督に率いられた若きジャパンは、熾烈なアジアの予選を勝ち抜き、28年ぶりの五輪出場権を獲得。鈴木氏に強化策を問われると、西野氏は93年に開幕したJリーグの効果が大きかったと語る。選手の「成長曲線が一気に変わった」という。
 
 世界への扉を開けたアトランタ五輪では、グループステージ初戦でブラジルを1-0で下し、"マイアミの奇跡"と称された。当時のブラジルはロベルト・カルロスやロナウドに加え、オーバーエイジ枠でリバウドやアウダイールらも擁していた。

 事前にブラジルの試合を見た西野氏は、このサッカー王国には欠点がなく、選手への伝え方に困った。唯一見つけた点として、CBのアウダイールが30歳だったため「(GKの)ジーダがコーチングできない。連係の悪さがある」と伝えた。

 すると、試合では路木龍次がアウダイールとジーダの間に入れたロングボールから起きたミスをついて、伊東輝悦が値千金の決勝点を決めた。

「奇跡と言うけど、限りなく勝つ確率は低いけど、勝てるとしたらそういう状況をどこかに共有していたかもしれない」

 鈴木氏に当時の心境を問われると、西野氏は「ブラジルに勝っても、それほど…」と回想。「グループとして戦う力が、アジアを勝ち抜くなかではものすごく感じた。チームとしての強さで勝ってきた」。一方で「本大会に行くと、それぞれがインディヴィデュアル(個人志向)に少しなりかけて、エゴではないんだけど、自分が世界にアピールしたいとか、そういう主張が強くなって」「勝ったとはいえ違うものがあった」と振り返った。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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