「もっと自分が基準を上げていかないと」
注目の逸材FW福田は「全て自分のせい」と敗戦の責任を背負い込む。この悔しさを糧に、さらなる成長を期待したい。写真:松尾祐希
[インターハイ2回戦]神村学園0-2履正社/7月25日(月)/徳島市球技場第2競技場
試合終了のホイッスルが鳴り響くと、両雄はがっくりとした表情で項垂れた。こんなはずではなかった――。神村学園(鹿児島)を牽引するセレッソ大阪加入内定のMF大迫塁(3年)と、高校No.1ストライカーのFW福田師王(3年)。彼らの最後の夏はあまりにも早い終わりを迎えた。
7月25日に行なわれたインターハイの2回戦。シードでこの日が初戦となった神村学園は履正社(大阪)に対し、本来の力を出し切ることができなかった。
「大迫君と師王君のホットラインを抑えるうえで、師王君を抑えるよりも出し手の大迫君を封じる。出し手と受け手で考えた時にどっちを抑えるかというと、出し手の大迫君。彼に左足でやらせず、横パスやバックパスであればOKだからと話をしていたので、結構やってくれていた。彼の縦パスは少なかったなと思います」とは履正社の平野直樹監督の言葉。
最終ラインから丁寧にボールを繋ぐスタイルを身上とする神村学園だったが、ビルドアップに苦戦。ボランチの大迫が良い状態でボールを受けられず、なかなか前を向けない。その結果、前線にパスが入らず、福田が孤立する時間帯が続いた。
特に後半は中途半端な位置でボールロストを繰り返してカウンターを浴びる場面が多くなった。その流れのなかで、後半の立ち上がりに連続で失点。何とか挽回を図ったが、先に相手にポジションを取られ、後手を踏む展開が続き、最後までほとんど決定機を作れなかった。
試合後、福田は「チャンスを全然作れなかった。全て自分のせい」と話し、「もっと自分が基準を上げていかないといけない。自分が点を取って勝たせないといけないし、(自分が)変わらないといけない」と敗戦の責任を背負い込んだ。
試合終了のホイッスルが鳴り響くと、両雄はがっくりとした表情で項垂れた。こんなはずではなかった――。神村学園(鹿児島)を牽引するセレッソ大阪加入内定のMF大迫塁(3年)と、高校No.1ストライカーのFW福田師王(3年)。彼らの最後の夏はあまりにも早い終わりを迎えた。
7月25日に行なわれたインターハイの2回戦。シードでこの日が初戦となった神村学園は履正社(大阪)に対し、本来の力を出し切ることができなかった。
「大迫君と師王君のホットラインを抑えるうえで、師王君を抑えるよりも出し手の大迫君を封じる。出し手と受け手で考えた時にどっちを抑えるかというと、出し手の大迫君。彼に左足でやらせず、横パスやバックパスであればOKだからと話をしていたので、結構やってくれていた。彼の縦パスは少なかったなと思います」とは履正社の平野直樹監督の言葉。
最終ラインから丁寧にボールを繋ぐスタイルを身上とする神村学園だったが、ビルドアップに苦戦。ボランチの大迫が良い状態でボールを受けられず、なかなか前を向けない。その結果、前線にパスが入らず、福田が孤立する時間帯が続いた。
特に後半は中途半端な位置でボールロストを繰り返してカウンターを浴びる場面が多くなった。その流れのなかで、後半の立ち上がりに連続で失点。何とか挽回を図ったが、先に相手にポジションを取られ、後手を踏む展開が続き、最後までほとんど決定機を作れなかった。
試合後、福田は「チャンスを全然作れなかった。全て自分のせい」と話し、「もっと自分が基準を上げていかないといけない。自分が点を取って勝たせないといけないし、(自分が)変わらないといけない」と敗戦の責任を背負い込んだ。
そして、キャプテンで司令塔の大迫も大粒の涙を流しながら言葉を紡ぐ。
「もっとやりたかった。情けないです……。勝てるゲームではなかったし、気持ちも技術も試合内容的にも全て相手が上回っていた」
何度も「情けない」と言った大迫。敗因について聞かれると、相手の勢いに飲まれたことが大きかったという。
「まだやれるほどの自信がなかった。ちょっと押し込まれてから自分たちができないんじゃないかって思って。今までやってきたサッカーができなくなり、いつもの神村学園みたいにはいかなかった。こうなったら、思うような結果にはならない。自信を持ってできなかったし、自分も流れを変えられなかった」
「もっとやりたかった。情けないです……。勝てるゲームではなかったし、気持ちも技術も試合内容的にも全て相手が上回っていた」
何度も「情けない」と言った大迫。敗因について聞かれると、相手の勢いに飲まれたことが大きかったという。
「まだやれるほどの自信がなかった。ちょっと押し込まれてから自分たちができないんじゃないかって思って。今までやってきたサッカーができなくなり、いつもの神村学園みたいにはいかなかった。こうなったら、思うような結果にはならない。自信を持ってできなかったし、自分も流れを変えられなかった」