「日本を愛する彼には残酷で不条理」神戸・ロティーナ監督の電撃解任をスペイン人記者はどう見た?「イニエスタを指導したいという気持ちが…」

2022年07月19日 ファン・L・クデイロ

日本に戻ることができるのもロティーナの決断を後押しした

3か月足らずで神戸を去ることになったロティーナ。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 ミゲル・アンヘル・ロティーナは当初、7年間の海外生活を経て2022年を充電期間に充てる考えでいた。しかし年が明けて3~4か月が経過した頃に、そのプランを見直す機会が訪れた。ヴィッセル神戸から監督就任オファーを受けのだ。

 ロティーナが神戸がただの目的地ではないと考えたのは、尊敬してやまないアンドレス・イニエスタを指導する夢を実現することができたからだった。日本に戻ることができることもロティーナの決断を後押しした。

 彼はビスカヤ県のメニャカ出身だ。努力、粘り強さ、気高さという彼の人となりはその田舎町で育まれた。そしてロティーナは、どこに行く時もそのアイデンティティを失うことはなかった。

 ロティーナは2011-12シーズン終了を待ってビジャレアルの監督を退任して以降、スペインのチームを率いていない。22年間に渡って監督キャリアを築いてきた彼が突如としてオファーが届かなくなったためだ。
 
 結果的にレアル・ソシエダ、デポルティボ、ビジャレアルと最後に率いた3チームが立て続けに2部に降格したことが彼のキャリアに傷をつけた。スペインでは今回の解任劇のようにネガティブなニュースが舞い込むと、今なおSNS上でジョークや誹謗中傷の対象になっているほどだ。

 人生と同様にフットボールも時に残酷で不条理だ。ロティーナは、輝かしい監督キャリアを誇るにもかかわらず、最後の印象が悪かったためにスペインで叩かれる結果となっている。

 ロティーナの勤勉さや献身性を重視するフットボール観は、彼が子供の頃に経験したことがバックボーンにあるのは間違いないだろう。メニャカは小さな街だ。中心街と言っても名ばかりで、目につくのはバル2軒と町役場くらい。あとはバスク地方伝統のスポーツ、バスク・ペロタ向けの建物がぽつぽつと並んでいる。辺りには集落が点在し、人々は牛を飼って生計を立てている。

 8人兄弟の末っ子のロティーナは、そんな辺鄙な田舎町で生まれた。自身にサッカーの才能があると気付いたのは7歳の時。修道会の寄宿学校に入学したことがきっかけだった。ポジションはストライカーで、骨惜しみなく動き回りながら、チャンスを確実に仕留める決定力を武器にしていた。

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