【孤高のサムライ戦記|小川慶治朗】豪州の地で10代の自分がフラッシュバック。「本当の勝負」と意気込む30代はサラーのように

2022年05月17日 元川悦子

戸惑いの連続からのスタート

昨年11月に豪州のWSWに新天地を求めた小川。念願だった海外移籍を叶えた。写真:本人提供

 日本を離れ、海外に活躍の場を求め、戦い抜く――己の信念を貫き、独自のキャリアを刻むサムライたちの知られざるストーリー。オーストラリアのウエスタン・シドニー・ワンダラーズで奮闘した小川慶治朗の生き様をディープに掘り下げる。

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 かつて柴崎岳(レガネス)や宇佐美貴史(G大阪)とともに、2009年U-17ワールドカップに参戦し、「プラチナ世代」の1人と評された小川慶治朗。ヴィッセル神戸を皮切りに、湘南ベルマーレ、横浜FCを渡り歩いたスピード系アタッカーは、昨年11月からオーストラリアAリーグのウエスタン・シドニー・ワンダラーズへ赴き、1シーズンを戦った。

「異国でのプレーは前々からの夢」と話す小川にとって初の海外挑戦。キャリア初のリーグ全26試合出場を達成したものの、2ゴールという数字には「助っ人としてはもっと結果を残さなければいけなかった」と反省する。チームも10チーム中8位に終わり、シーズン途中には監督も交代。数々の困難にも直面したという。

 そもそも同クラブ入りは横浜FCの後押しが大きかったという。小川は2020年末の神戸退団時から海外行きを第一に考えていた。長年の願望を横浜FC側も理解し、「1年活躍してステップアップしてくれればいい」と前向きに受け止めてくれた。
 
 その言葉を聞いて横浜FC行きを決断。新たな気持ちで2021年シーズンに挑んだところ、ご存じの通り、クラブはJ1で低迷。J2降格危機に瀕してしまった。

「ワンダラーズからオファーが来たのは、残留争い真っ只中の頃。正直、今のタイミングでは行けないと思いつつ、クラブに相談すると『小川は貴重な戦力だけど、夢を応援する』と言ってくれた。本当に有難く感じました。すぐに行くことを決め、11月2日のフライトで現地に渡り、11月末の開幕に間に合わせました」と、急転直下のレンタル移籍だったことを明かす。

 とはいえ、英語が全く話せない彼は入国審査で引っかかるなど、いきなり壁にぶつかった。現地では「英語は話せて当たり前」という扱いをされ、ミーティングでも意見を求められる。何が何だか分からないなか、喋ると、周りから「お前、何言ってるんだ」と笑われる。戸惑いの連続からのスタートだった。
 

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