「怒られっ放しだったんですけど…」オシムジャパンで初代表の中村憲剛、恩師の訃報に絶句「僕のサッカー人生を肯定してもらった」

2022年05月02日 サッカーダイジェストWeb編集部

「初めて日の丸を付けさせてくれたのがオシムさんだった」

恩師であるオシム氏(左)の訃報に、中村氏(右)が想いを述べた。(C)SOCCER DIGEST

 5月1日、元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が80歳で逝去した。かつて指揮を執ったオーストリアのシュトゥルム・グラーツが発表した。

 母国ボスニア・ヘルツェゴビナのメディア『Klix』によれば、1日の午前10時にオーストリアはグラーツの自宅で永眠したという。

 オシム氏は2003年~2006年までジェフユナイテッド千葉の監督を務め、2006年7月に日本代表の指揮官に就任。ただ、2007年11月に脳梗塞で倒れ、退任を余儀なくされた。

 そのオシムジャパンで世代別も含めて初めて日本代表に選出された中村憲剛氏は、ゲスト出場したDAZNの「やべっちスタジアム」の中で、恩師の訃報が伝えられると、「信じられなくて、言葉が出ないですけど」と一瞬言葉に詰まった後、感謝の言葉を述べた。
 
「日本代表に初めて招集していただいた監督でもありましたし、サッカーが大好きな方で、怒られっ放しだったんですけど、いろいろなことを教えてもらって学んで、40歳までプレーするベースになった」

 日本代表で68キャップを刻んだ司令塔は、「僕は、世代別でも日の丸を付けたことがなかったので、初めて日の丸を付けさせてくれたのがオシムさんだった。僕自身のサッカー人生を肯定してもらったような。素晴らしい方でした。本当に残念です」と続け、悲しそうな表情を見せた。

 MCの矢部浩之さんから、「憲剛さんは思い出したら、たくさん思い出が出てくると思いますけど…」と振られたが、うんうんと頷くだけで、その後は言葉が出なかった。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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