【独占手記|田中隼磨】山雅の“原点回帰”を体現するために。必死のリハビリに励む背番号3のサッカー人生を賭けた最後のチャレンジ

2022年04月27日 元川悦子

「膝の中は想像をはるかに超えるほど状態が悪かった」

14年から故郷のクラブ山雅でプレーする田中。過去二度のJ1昇格に貢献するなど、絶大な存在感で闘い続ける不屈の39歳だ。写真:徳原隆元

 2022年はクラブ史上初のJ3に参戦している松本山雅FC。ここまで6試合を消化し、4勝1分1敗の勝点13で3位につけている。だが、J2昇格枠は上位2位以内。まだまだ順調とは言い切れないものがある。

 そんなチームの戦いをピッチの外から見つめているのが、長期離脱中の39歳の大ベテラン・田中隼磨だ。

 横浜F・マリノスを皮切りに、東京ヴェルディ、名古屋グランパスを経て、2014年に故郷のクラブ山雅に赴いた田中。「松本のために覚悟を持って取り組む」と高度なプロ意識を押し出し、故・松田直樹さんの3番を背負って2014年、2018年と2度のJ1昇格の原動力となった。

 2016年には右眼裂孔原性網膜剥離を患い、手術は無事成功したものの絶対安静の状態に陥った。全治未定で不安も大きかったが、医師らメディカルスタッフの懸命な治療に支えられ、わずか3か月後に公式戦に復帰。不屈の闘志はチーム内外に大きなインパクトを与えたのは間違いない。
 
 その彼が2021年5月に右膝手術を受けたというニュースは我々を驚かせた。

「最初に右膝を痛めたのは、山雅に移籍してきた2014年5月でした。そこから慎重にケアを重ねてプレーを続けてきました。コロナ禍の2020年に一度、長期離脱を強いられましたが、3か月後には試合に戻ることができた。それでイケると思っていたけど、2021年2月のJ2開幕・レノファ山口戦で長年の蓄積が一気に来た。開幕前の鹿児島合宿でも身体がキレていたし、新シーズンに手応えを感じていただけに、ショックは大きかったですね。

 そこからの2か月半は最善の治療法を探す日々でした。手術をしない保存療法でPRP(多血小板血漿療法)など、やれることはやった。結局、メスを入れる判断をして、名古屋の病院でオペをしてもらったところ、膝の中は想像をはるかに超えるほど状態が悪かった。執刀医からも『全治を断言するのは難しい』と言われ、先が見えず、苦しくなりました。それでもピッチに戻る挑戦を続けるしかない。前向きな気持ちで残留争いをしていた昨季のラストまでいろんなトライをしたんですが、ピッチに戻ることは叶わなかった。今年の合宿も帯同できず、2月には2度目の手術をして、今もリハビリに励んでいるところです」

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