【川崎】「レナト電撃移籍」と「マイア獲得」の舞台裏

2015年08月04日 江藤高志

レナトの電撃移籍――7月13日に事態が動き始め、翌14日に「満額を支払う」のメールで急転。

今季9ゴールと結果を残していたレナト。鳥栖戦に帯同するつもりで川崎のクラブハウスを訪れるも、本人の知らぬところで話はついていた。

 
 第2ステージの開幕戦でFC東京に2-0と勝利したわずか数日後、川崎に激震が走った。7月16日に10番を背負うレナトが中国の広州富力に電撃移籍したのだ。
 
 川崎は即座に助っ人の補強に乗り出すと、8月3日にブラジルのECヴィトーリアに所属するアルトゥール・マイアを期限付き移籍で獲得した。今季は同国のフラメンゴに期限付き移籍しており、川崎との契約期間は16年1月1日まで。レナトが背負っていた背番号10を与えられた。
 
 果たして、この舞台裏でなにが起きていたのか――。
 
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 レナトの移籍は、まさに青天の霹靂だった。
 
 川崎の10番を背負うブラジル人アタッカーは、今季9ゴールを叩き出し、鋭いドリブルで局面を打開するなど攻撃面で多大な貢献をしていた。事態が動き始めたのは、第2ステージの開幕戦・FC東京戦を終えた2日後の7月13日。レナトの日本側の代理人である稲川朝弘氏が、川崎のクラブハウスを訪れたのだ。
 
 稲川氏は、クラブ側に「このタイミングで(正式なオファーが中国の広州富力から)来るかもしれませんよ」と伝えたという。もっとも、この時点の提示額はレナトの違約金に遠く及ばず、川崎の庄子春男GMはオファーを断る方向で考えていたと明かす。
 
 ただ、クラブは念のため13日の夕方にレナトと面談し、現在の提示額であれば川崎側は放出しない旨を伝えた。それに対して、レナトも「クリアしなければならない問題があるのは分かります」と語り、自身の置かれた状況を把握していた。
 
 話が急転するのは、翌14日の朝だ。稲川氏のメールボックスに、広州富力側から「違約金を満額支払う」とのメールが届いたのだ。その文面を見た稲川氏は、「ああ、来ちゃったか」と頭を抱えたという。
 
 稲川氏から事情を聞いた庄子GMは「こうなったら、もう練習しないほうがいい」と考え、風間監督にもその旨を伝達。レナトにも当日の練習から外れるよう伝えるのだが、この時点でレナト自身は、移籍話に進展があった事実をまだ知らなかった。
 
 その証拠に、レナトは15日の鳥栖戦に帯同するつもりでクラブハウスを訪れており、遠征用のスパイクも持ち込んでいた。レナトへブラジル側の代理人から連絡が届いたのは、川崎側からレナトに事情を説明している際にかかってきた電話だったという。
 
 いかにもドタバタの移籍劇となったが、そもそもレナトには、6月中旬にカタールのあるクラブから獲得の打診があった。この一件は、違約金が満額ではなく立ち消えになったという。そうした事態に備え、稲川氏ら国内の有力な代理人は、クラブ側の要望にすぐ応えられるよう、目ぼしい選手のリストを用意している。
  
 もちろん川崎もブラジルに渡航する機会があれば、複数の選手を視察しており、今回獲得に至ったマイアも、エウシーニョを獲得する際にスカウトの西澤淳二氏がすでに会っていたという。
 

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