「ヒデさんの存在が大きかった」中村俊輔がマドリーBを蹴ってレッジーナに移籍した真相を告白!「東洋のバッジョなんて…」

2021年12月25日 サッカーダイジェストWeb編集部

「世界の流れに置いていかれる」

02夏にレッジーナへ移籍し、3シーズンに渡ってプレーした中村。 (C)Getty Images

 横浜FCに所属する中村俊輔が、日本代表でも共闘した鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルで、2002年夏に横浜F・マリノスからレッジーナへ移籍した際の舞台裏について語った。

 まず鈴木氏から「なぜセリエAに行ったんですか?」と問われた中村は、「ヒデ(中田英寿)さんの存在がすごく大きかった」と明かしている。

「(小野)伸二やイナ(稲本潤一)も海外に行っていたけど、みんなが(日本代表で)帰って来た時に『ヒデさんはやっぱり違う』と感じた」
    
 海外移籍を強く意識したのは、フィリップ・トルシエ監督率いる日本代表が、2001年に敵地サンドニで0‐5の大敗を喫した、フランスとのフレンドリーマッチだったという。

「これは本当に急がないとだめだ。今のままでは、世界の流れに置いていかれると思った。(シドニー)オリンピックに出た時は、『俺、平気じゃん』と思った。相手チームとタメだし。それがちょっと甘かった。もっと海外を意識して、もった早く海外に行きたかった」

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 レアル・マドリーのBチームや中田がプレーしたペルージャからも話があるなか、セリエAに昇格したばかりのレッジーナからオファーが届いたが、まったく知らないチームだったため「代理人と『どこ?』って話していた」。

「レッジーナのパスクアーレ・フォーティ会長が来て、横浜のホテルで会って、『俺は明日の便で帰るから早く決めてくれ』と言って。俺も早く(海外に)行かなきゃと思ってるから、選んでいる場合でもない。他はそこまで積極的じゃなかったけど、(レッジーナは)積極的だったし、10番をやるって言ってて。セリエBから上がったチームだから、盛り上げようと会長が力を入れていた」

 結局、「朝まで悩んだ」というレフティは、早朝4~5時頃に「行きます」と返答。レッジーナ移籍が決まった。そしていざイタリアに到着すると、その盛り上がりぶりに驚かされたようだ。

「(記者会見で)ミラノのホテルの1階をとっていて、『ナカタの次にすごいやつが来た』とすごい数の記者が来ていて、『なんでこんなに盛り上げってるの?』ってびっくりした。『東洋のバッジョが来た』みたいな。やめて、やめて」

 こうして加入したレッジーナで、中村は1年目から主力を担い、32試合に出場して7ゴールをマーク。在籍3シーズン連続で残留に貢献したのだった。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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