「いや、無理です」なぜ中村俊輔は一度断った“横浜の10番”をつける決心をしたのか? “ミスター・マリノス”との秘話を告白!「逆につけたいと思った」

2021年12月22日 サッカーダイジェストWeb編集部

「そういう話があるんですけど…」

中村は入団3年目に25番から10番へと変更した。 (C)SOCCER DIGEST

 横浜FCの元日本代表MF中村俊輔が、浦和レッズで活躍した鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルに出演し、横浜F・マリノスで10番をつけることになった時のエピソードを明かしている。

 桐光学園時代から高校サッカー界のスターとして注目を浴びていた中村には、5~6チームから誘いがあり、「10番を用意する」というクラブも少なくなかったという。ただ、本人は「高校生からしたら、そういう誘い方はプレッシャーでしかない」と当時の心境を回顧している。

 結局、ジュニアユースまでプレーした横浜への入団を決めたレフティは、25番をつける。

「(マリノスの初代10番である)木村和司さんが、新人の時につけていた番号だった。その和司さんが使っていた寮の25番の部屋に入れただけで光栄だった。ボロボロだけどね、寮自体は」

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 高卒1年目から27試合に出場して5ゴールをマークし、優秀新人賞に輝く活躍を見せた中村は、瞬く間に中心選手に成長。そして、3年目に向けた契約交渉時に「10番どう?」と聞かれたが、はじめは「いや無理です」と断ったという。

「取材の時に和司さんと会う機会があって、『そういう話があるんですけど』と話したら、『自分色に染めればいいから』と言われて。それですごく気が楽になって、じゃあ(10番)をつけさせてもらおうかな、と思った」

"ミスター・マリノス"からの言葉に、「逆につけなきゃ、つけたい。頑張りたい」という気持ちになったという。

 こうして10番をつけることになったファンタジスタは、通算7年に渡って、横浜でこのエース番号を纏い、見事に「俊輔色」に染めたのだった。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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