「もう中国に行くしかない」27歳で引退を覚悟した城彰二を救った“W杯V戦士”からの言葉「嬉しかったのが…」

2021年12月01日 サッカーダイジェストWeb編集部

奥寺康彦社長からの一本の電話

元日本代表FWの城氏が横浜FC移籍の経緯を明かした。(C)SOCCER DIGEST

 元日本代表FWの城彰二氏が、自身のYouTubeチャンネル『JOチャンネル』で横浜FCに移籍した経緯を明かしている。

 2002年に横浜F・マリノスからヴィッセル神戸へと活躍の場を移した城氏は、シーズン終了後に、戦力外通告いわゆる「0円通知」を受け、移籍先を探していた。

 当時はまだ27歳。「日本代表に入って、オリンピックに出て、スペインにも行った自分にオファーがないはずがない。どこかから来るはず」と楽観視していたが、いくら待てども連絡が来ない。

 1月下旬になっても声が掛からず、「やばいぞ」と思っていたところに中国の山東泰山からオファーが届いたという。だが、移籍期限の2日前になってもJクラブからのオファーはなく、「現役を続けるには中国に行くしかない。もう辞めようかな」と引退を覚悟していたタイミングで掛かってきたのが、J2だった横浜FCの奥寺康彦社長(当時)からの電話だった。

「お前どうしたんだ? どこに移籍したとか、どこにも載っていないじゃないか。どこも行くところがないのか?」と聞かれた城氏が事情を説明すると、一度電話を切った奥寺氏から再び連絡があり、横浜のホテルに呼び出されたという。

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 そこにいたのが、当時のピエール・リトバルスキー監督と阪倉裕二コーチ、城氏が高卒で入団したジェフユナイテッド市原で共闘した2人だった。もう引退に傾いていた城氏は、現状を正直に話したそうだ。

「自分ではもっとできると思っていたが、できない。驕りもあって、プレーも上手くいかない。こうなったのは自分の責任だし、もう無理かもしれない」

 するとリトバルスキー監督が、「無理じゃないだろう。お前にはまだ能力があるはずだし、本気でやるんだったら、うちで受け入れる」という言葉を掛けてくれた。

 城氏は「嬉しかったのが『再生する』って言ってくれたこと。『お前をもう一回上にあげてやる。だからやるか?』という言葉に感銘を受けて、やりますと言った」と明かしている。
 
 西ドイツ代表の一員として1990年のワールドカップを制した経験もある名手の言葉に押されて加入した横浜FCで、城氏は1年目にリーグ戦12ゴールを挙げて見事に復活。現役最後のシーズンとなった4年目の2006年には同じく12得点を記録し、クラブ初のJ1昇格に導いたのだった。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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