【私が見た阿部勇樹】先頭に立つわけではないのに誰もが頼りにした男…その求心力の裏側

2021年11月25日 轡田哲朗

いつも最後尾から全体を見ていた

常にチーム全体を見続け、苦しい時こそ表に出てチームを支えた。その姿勢が求心力につながった。(C)SOCCER DIGEST

 2021年シーズン限りで現役引退を発表した阿部勇樹。その輝かしいキャリアを様々な記者に振り返ってもらう。浦和の番記者がつづるのは、誰からも信頼された背景だ。

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 2007年に浦和にやってきてから、途中で1年半ほどイングランドにプレーする場を移したものの、長年にわたってチームを支えてきた男の決断だった。40歳という年齢になるまで契約を勝ち取り続け、自分の意思で引退を決めるというのは、多くのサッカー選手の中でもほんのひとつまみにだけ許される幸せな最後だろう。もちろん、彼はそれに値する、それに相応しい存在だった。

 彼はキャプテンとして長く過ごしたが、いつもチーム全体のバランスを見ていたように思う。チーム状態が良い時ほど、狙って目立たないようにしている感もあった。勝利した試合後のミックスゾーンでは、決勝点を決めた試合ですら「みんなの話を取り上げてくださいよ」とあまり多くを語らなかった。中心になってワッと喜びを表現するよりも、少し離れたところから微笑ましく見守っているようなタイプだった。「仕事はチームが調子に乗っている時か悪い時だけ」という言葉も残した。
 
 先頭に立って引っ張っていくリーダーというよりは、後ろから支えていくようなタイプだというのを自分でも認めていた。トレーニング中のランニングでも、いつも最後尾から全体を見ていた。そうやってチームメイトを気遣い、その代わりチームの状態が良くなければ自分が矢面に立って、調子に乗っているようならグッと引き締める。そうやって、いつもチームの浮き沈みが激しくならないように、ピッチ上のプレーと同じように逆サイドを見ながらバランスを取っていく存在を、誰もが頼りにしていた。

 そうした行動が周囲に受け入れられ、求心力を発揮するのも、阿部自身が真摯にサッカーへと向き合う姿を見せ続けてきたからだろう。試合後にトレーニング場でケアをしてから帰宅することも日常だった。手を抜いた姿などあるわけもなく、それこそランニングのメニューがあった時に、4スミに置いてあるマーカーの一歩でも内側を通るような姿は一度も見たことがない。ストレッチや筋トレ系のメニューで時間や回数をごまかすような仕草もまったくなかった。そうした姿との積み重ねがあるから、誰もが信頼する。

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