「天才というよりも…」。“元同僚”岩本輝雄と名良橋晃が明かす「中田英寿の本質」

2021年08月12日 白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

「当時のヒデは今の三笘以上だったよ」(岩本)

中田の本質について岩本氏、名良橋氏の回答は? 写真:J.LEAGUE

 往年の名プレーヤー、かつてベルマーレ平塚、セリエAのペルージャや日本代表などで活躍した中田英寿は「天才」の部類に入るのか。この疑問に答えてくれたのが、ともに平塚時代に中田とともにプレーしたふたり、岩本輝雄と名良橋晃だ。

岩本 ヒデ(中田)は平塚時代のチームメイトだけど、相手がドゥンガ(元ブラジル代表)だろうがボールを取られなかった。身体は強いし、ミドルシュートの精度も抜群。でも、天才ではない。

名良橋 そう!! 僕もテルさんと同じで平塚時代のチームメイトとしてヒデのことを知っているからそういう結論に行き着く。

岩本 世界を見据えて、自主練でも強度の高いトレーニングをやっていた。練習量は半端なくて、天才というよりも努力の塊だった。

名良橋 ストイックで、練習や試合でも欧州基準のパスをバンバン出していた。味方に合わせる以上に、これくらいじゃないと世界では通用しないというスタンスでやっていて、結果的に辿り着いたのがイタリアの地だった。
 
岩本 98年のフランス・ワールドカップで活躍してセリエAのペルージャに移籍したけど、今と違って日本人選手の欧州移籍は極めて稀なケース。「なんで日本人?」という時代に実力で引き抜かれたわけだから、本当に凄い。

名良橋 移籍が決まる前からイタリア語を勉強するなどピッチ外でも色々と努力していた。

岩本 自己分析をよくしていたと思う。自分が活躍するために何が必要かって。ナラ、覚えている? ヒデが(96年1月に)ユベントスの練習に参加したあと、やたらと筋トレをやるようになったのを。

名良橋 やっていましたね。

岩本 そこから一気に変わった。強いパスを出すようになったのもプロ2年目(96年)からだし。

名良橋 先を見据えてのマインドチェンジができて、しかも、その2年後にちゃんと移籍するわけだ
から、凄いとしか言いようがない。

岩本 近くで見ていたから良く分けるけど、真の努力家で秀才。当時のヒデは今の三笘以上だったよ。

取材・文●白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)・多田哲平(サッカーダイジェスト編集部)

※サッカーダイジェスト6月24日号のものに加筆・修正して転載。

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